【1968年4月】Music Life誌がロンドンで取材したビー・ジーズ(Part 1)

ご存じでしたか。5月22日は「卵料理の日」だそうです。05を「たま・ご」と読み、22が「にわとり」になるんだとか。

そこでパッと思い出したのがこの一連の写真です。22日にアップしたかったのですが、怪我をしてしまったりしてなかなか時間がとれず😢。数日遅れになってしまいましたが、卵料理を作るビー・ジーズです。ビー・ジーズが表紙になったMusic Life誌1968年6月号のカラーページより。

記憶の中ではバリーは目玉焼きを作っていて、手に持ったフライパンの中に黄身と白身が見えていたような気がしたのですが、実物を掘り出してみたら、人間の記憶とはあてにならないものでした(笑)。これだけでは卵料理だかなんだかはっきりせず、どうして自分はここでバリーが作っているのが卵料理だと思っていたんだろうなあと我ながら不思議に思ったのですが、記事の中にありました!

スティグウッド氏の家の前には一目ビー・ジーズに会いたいと集まったファンがいっぱい。5人は仕事がハネた後は大抵ていこの家に集って打ち合わせをしたり、食事をしたりするのだそうです。私は昨年もこの同じ場所でビー・ジーズに会いましたが、半年足らずの間にふたまわり程成長している彼等に会って、ビー・ジーズは本当に今や大スターなのだと、改めて思わずにはいられまえんでした。
5人が私のために夕食のオムレツを作ってくれたり紅茶を入れてくれたりで大恐縮しました。

当時のMusic Life誌編集長の星加ルミ子さんのロンドン取材の記事で、「1968年4月9日 ロバート・スティグウッド宅にて」とあります。何しろビー・ジーズが表紙の号でしたから、少し古いファンの方ならみなさん、おもちではないかと思い、ご紹介が遅れました。

星加編集長ロンドン取材ビー・ジーズが自筆で100の質問に答えました4月9日 ロバート・スティグウッドさん宅を訪れました。入り口には、ビー・ジーズを大かけているらしい20人程のティーン・エイジャーが群がっていてすんなりうちへ通される私を羨望の眼差しで眺めていました。

昨年9月に訪れた時と全く同じ状態のこの家は、中世期風の家具調度でシックに飾りつけられています。ホールから階段づたいに2階へ上ると大きな居間があり、すでに5人は私の到着を待っていてくれました。白い清潔なスーツを着たサーバント・ボーイが、お茶を入れてくれました。私はまず、彼等の写真をとり、それから用意していった100の質問に答えてくれるようたのむと、気軽に5人は引き受けてくれ、書きはじめました。時間は午後の5時半。6時に東京からインタビューのために国際電話が入ることになっています。

みんな真剣な顔をして、まるで試験を受けている生徒のように質問状に書き込んでいました。時々誰かが茶々を入れるので、クスクスという笑い声の他は、実に真面目そのものです。同じこの部屋の、同じソファーで、昨年会った時は、コリンだけには会えませんでしたが、あれから比べると、すっかりスターらしくなったビー・ジーズ達を前に、私は何か感慨無量の気持におそわれました。彼等の努力が報われるのが早かったとはいえ、これからが本当の勝負だとバリー以下全員が云っていましたが、8月にアメリカ公演を再び行ない、この前か後に日本にやってくるという彼等の前途は洋々と開けているようでした。

新曲は「ジャンボ」という曲で、ジャンボ・サイズのヒット曲にしようと大張り切りです。6時ジャストに2階のベルがけたたましく鳴りはじめました。東京からの電話です。

初めは遠くてよく通話が出来ずいったん切らなければなりませんでした。その間にバリーはスーツの仮縫いがあるため近くの洋服屋へ出かけてしまいました。やっと20分位して、東京からの電話が通じましたが、今日はコンディションがあまり良くなく、かなり大声を出さなければなりませんでした。東京は午前2時で、フジテレビの斎藤ディレクターが録音の用意をして待っていてくれました。

まずモーリス・ギブがあいさつをします。彼はハローというには日本語で”こんにちは”だと教えてあげると、「こんにちは、ぼくモーリスです。電話を通じて日本に皆さんにハローを云えるとは幸わせです。近いうちに日本を訪れる計画をたてているので、きっと皆さんにお目にかかれますよ。その時はよろしく」。

続いてビンス・メローニー、コリン・ピーターセン、ロビン・ギブと一通り挨拶が終ったところで短いインタビュー話はもっぱら日本のことについてでしたが、バリーがちょうど戻って来て、「オーストラリアにいた時、日本人の友達がいて、彼がいうには、日本は男性天国だというんだけど、本当かい?」とたずねてきました。何んせすべてがレディーズ・ファーストとは逆のジェントルマンズ・ファーストだというのがすっかり気に入ってしまったようです。

日本に行ったら、まず日本独特の食べ物を片っぱしから味わいたいというのはロビン、日本のスポーツ・カーで日本中をドライブしたいというのはモーリス、そしてビンスは、かわいい女の子からプロポーズされたいんですって。コリンはもっぱら歴史に興味があるらしく、200年前の日本を調べるのだと張り切っていました。侍映画の影響なのだそうです。

ロイヤル・アルバート・ホールを皮切りに、約4週間にわたってロンドン中をコンサートして回っているビー・ジーズでしたが、この日は特にこの日のインタビューのためにリバプールから飛行機で帰ってきてくれたのでした。

本誌からの100の質問に、ペンを片手に全員四苦八苦で取り組んでくれましたが、これは日本では初めてのビー・ジーズ直筆のバイオグラフィーになるわけです。ビー・ジーズの最新曲は「ジャンボ」という曲で、発売前から予約注文が殺到しているという人気ぶりです。イギリスの各紙は”ジャンボ・サイズのヒット曲”として大々的にとり上げていました。

インタビューの時バリーは「ぼく達はたった半年でスターになってしまった。スターになるのが早すぎたと思うんだ。一位になるのはやさしいけれど、一位の座を保っていくのは難しいからね。勉強とリハーサルだけはどんなに忙しくっても続けていこうといつも云っているんだ。そして良い曲だけを歌っていこうとね。」 こうした堅実さこそ、ビー・ジーズの大きな個性なのです。

それにしても、ビンスが結婚していたとは驚ろきですね。ビンスの31の解答をごらん下さい。過去において一番うれしかったことという質問に、「結婚したこと」と答えています。また37では世界中でもっとも美しいことは?とい問いには「私の妻と一緒であること」と答え、51では、はっきり「結婚しています」と答えています。これはちょっとショックでした。

では次に質問事項を掲げておきます。答えの方は自分で訳してみて下さいね。意外な事実がかくされているかもしれませんよ。

というわけで、100の質問一覧と5人の答えが掲載されていたのですが、印刷ミスか、答えがきちんと読めるのはロビンとヴィンスだけ(記事中では”ビンス”)。バリーはかろうじて読める箇所もありますが、モーリスとコリンの答えはまったく読めない状態でした。これには読者から当然ながら苦情が出たようで、次の号に「全訳」が掲載されました。

だいたい、”日本初のビー・ジーズ直筆のバイオグラフィ”という貴重なものなのに「自分で訳してみてくださいね」というのも手抜き過ぎるような気がしますが、当時の音楽メディアってこんな感じだったのでしょうかね。しかもこの次の号に掲載された「全訳」にはけっこう誤訳がありましたっす。

となると、英語が掲載されなかったモーリスとコリン(とバリー)の翻訳に関しては間違っていてもわかりようがない(原文がないから)というなんとも残念な企画ではありました。

とにかく当時の彼らは「大スターになった」とはいえ、まだまだ新人。日本で売り出したかったということもあって、こういう企画が実現したのでしょうが、いろいろと残念です。

近いうちに「100の質問」(びっくりするほど音楽に関する項目が少ない!)と彼らの直筆回答(&その翻訳)をご紹介します。彼らの回答内容にも各自の人間性が覗いていてなかなか面白いのですが、同時に質問内容から当時の彼らの立ち位置のようなものが感じられるのが興味深かったりもします。

それから文中にあるフジテレビの電話インタビューって当時放送されていたBeat Popsではないかと思っているのですが、詳しくご存じの方、電話インタビューをご記憶の方、実際に聴かれた方などがいらっしゃったら教えていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

{Bee Gees Days}

 

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