ビー・ジーズがブライアン・エプスタインのために書いた「素晴らしき夏」
ビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインが34歳の若さで世を去ったのは1967年8月27日。当時、彼はNEMSでロバート・スティグウッドと組んで仕事をしていましたから、オーストラリアからイギリスに戻った当時のビー・ジーズのキャリアにも関係しています。ちなみにロビンの最初の奥様モリーさん(ビー・ジーズ第二世代のミュージシャンであるスペンサー・ギブのお母さん)は当時ブライアン・エプスタインの秘書をしていて、ロビンと知り合ったのでした。
アルバム『アイディア』(1968年)の中の曲、ロビンがリードをとる「素晴らしき夏」はビー・ジーズがブライアン・エプスタインに捧げた曲だといわれています。
2006年に発表されたビー・ジーズのリイシュー第一弾『The Studio Albums 1967-1968』付属のAndrew Sandovalによるライナーノーツは、この曲が書かれた経緯について、ロビンの発言も引用して次のように述べています。
「素晴らしき夏」は2月14日にIBCスタジオで吹き込まれた。この曲について「ぼくたちはこの曲をビートルズのマネージャーで67年の夏に亡くなったブライアン・エプスタインに捧げた」とロビンは語っている。「ぼくたちがモンテカルロ港で船に乗っていたら、ロバートのアシスタントがタラップをやってきて、『悪い知らせです。ロンドンと電話で話したのですが、ブライアンが死体で見つかりました』と知らせてくれた。ぼくたちはすごいショックを受けた。その夜、ロンドンに帰るのもものすごく大変だった。帰国便の飛行機に乗るために、まず沿岸沿いに船で移動しなくてはならなかった。ブライアンはロバートの(ビジネス)パートナーだったので直ちにロンドンに戻らなくてはならなかったんだ。これが「素晴らしき夏」という曲の発想のきっかけになった」
ブライアンの突然の若すぎる死は薬物のオーバードーズ(過剰摂取)による事故でしたが、その死の前後の体験については、ロビンが別の機会にもっと詳しく語ったインタビューがあり、そこでブライアンが不安定な精神状態であったことなどにも触れられています。このインタビューもいずれご紹介したいと思います。
素晴らしき夏(In the Summer of His Years)
その生涯の夏の日々に
彼は常に微笑みを絶やさず
毎日 笑っていたものだ
今も彼がここにいてくれたら…あのもっとも輝かしい日々よ
光輝く夢の中で
彼は涙を流すことなく
その耳にはいつも何かが聞こえていた
そばに誰もいないときにあの輝かしい日々よ
ああ 彼の生涯の最高の日々
輝かしい人生の夏
ロビンはアリフ・マーディンについて、「この人には他の人には聞えないものが聞こえている、と感じさせるような人がいるけれど、アリフもそんな人のひとりだった」と語ったことがありますが、「誰もそばにいないときにもいつも何かが聞こえていた」というブライアン・エプスタインもそういう人のひとりだったのかもしれません。
{Bee Gees Days}
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