【週間FM 1974年11月11~17日号】ビージーズ「ただいまウォーミング・アップ中」1974年来日インタビュー

ビージーズin Tokyo(1974年10月18日)
ビージーズin Tokyo (1974年10月18日)

37年前の今ごろ、ビージーズは彼らの歴史上でも最長の日本ツアーの真っ最中でした。

日本到着は1974年10月17日。翌10月18日には泊まっていたホテルでオープニングをつとめた日本のバンド、ベルも一緒に、写真撮影会と週刊FM誌の取材が、19日にはリハーサルと東京での初日公演(中野サンプラザ)が行われて、11月7日の札幌公演まで実に20日間にわたる日本公演の幕が切って落とされました。今となっては夢のような日程ですね。

この週刊FM(1974年11月11~17日号)の記事は「隔週新連載・インタヴュー・コーナー」の第一回として登場したもので、題して「ただいまウォーミング・アップ中 ビージーズ」。一部をご紹介します。

今年で三度目の来日をしたビー・ジーズ。…公演にしてもほとんど満席。…しかし最近の彼ら、何かパッとしない。ヒット・チャートには顔を出さないし、やきもきしてしまう。あの数々のヒットを生んだビー・ジーズ・サウンドは、もう消えてしまったのか? インタヴューでもしてみれば、そんな不安を解消する答が得られるかもしれないと、彼らを滞在している東京ヒルトン・ホテル(注:当時)に訪ねてみた。

という冒頭部分に、当時の彼らがおかれていた状況のいったんがうかがえます。

いずれにせよ、「パッとする」=「ヒットを出す」という発想は、この後も彼らにつきまとったわけですが、モーリスが「マサチューセッツ」について1967年の記事で「あれはヒット狙いだった」と語っているように、当初のビージーズは時代の流れの中で「ヒットではなく優れた芸術である作品を作りたい」と願っていたようです。その後、彼らがどんなに「パッとして」しまったか、そしてそれが新たな十字架を生んでしまったか、ということを考えると、この週刊FMの切り口はなかなか興味深いものがあります。

Q: 今回の公演は日本の他にどこか?
B: 八十日間世界一周みたいなもので、カナダを皮切りに、オーストラリア、極東をまわって二カ月間のツアー、日本が最後だよ。

Q: コンサートはやっぱりヒット曲を中心にやるわけでしょ。それはそれでいいと思う。実際に日本のヤングのヒット・パレードの上位をしめている新しい曲でも、昔のサウンドにすごく似ているものもあるし、でも次から次へヤングの層が育ってきて、ソウルなどに興味を持った人が増えている。彼らに対処する方法みたいなの考えている?
B: ソウル音楽はアメリカの古い歴史の上にたっているもので、それはそれで素晴らしいと思う。ロバータ・フラックやスティーヴィー・ワンダーなど。でも音楽にもいろいろな分野があって僕らは僕らなりの分野で頑張るつもりさ。音楽のタイプとしては少し変えてる面もあるけど、全体的にみればビー・ジーズ・サウンドはビー・ジーズ・サウンドにほかならない、それは全然変わっていない。将来はいろいろな面を検討してみて、それでまた一つの僕らのサウンドを作り上げる。この次の公演では前半の一時間は新しいものでかため、後半はヒット曲を演奏するつもりだ。この公演が全部終了したら新しいアルバム作りに入る予定。スタジオに入るまでは具体的に内容は決まらない。

Q: それぞれが今、注目しているアーティストは誰?
B: そう、チャーリー・リッチとかシャーリー・バッシーなどだが、たくさんいるから誰がいいかわからない。プロの眼からみると今、あげたような人。でも、結局のところ自分たちが一番いいよ。

Q: たとえば、「メロディ・フェア」みたいに、自分たちの音楽を映画によってプロモートする方法はどう思ってますか?
B: すごく良い方法だと思うよ。いい作品(映画)を待っているところだ。今、一番やりたいことは皆、同じで自分たちが兄弟としてではなく、まったく違う役柄で出演して歌ったりする映画を作りたい。

Q: ビートルズが作ったような?
B: あの映画はビートルズが作ったから、似たものはもう作れない。

Q: 今後の予定は?
B: このあと六週間は休み、来年になるけど、そのあと二カ月間、マイアミでレコーディングをする。そのあとに南米、カナダに行く予定。

Q: 日本のファンに何か望むことでもありますか?
B: 私たちは楽しんで音楽を作ったり、演奏したりしているので、聞いてくださるみなさんも、もっと楽しんで聞いてくれるとうれしい。コンサートも、もっとノッてくれれば……。とにかくこれからもたびたび来ます。よろしく。

このとき話題になっていた「マイアミでレコーディング」するアルバムが、歴史的名盤の『Main Course』。彼らは本当にソウルフルな新しいサウンドを求めて高く高く飛翔しようとしていたのでした。

ロビンはこのときの滞在中に「年が明けたらマイアミに行き、エリック・クラプトンのアルバム”オーシャン・ブールヴァード”のジャケットに登場している白い建物に滞在してレコーディングに入る」と話してくれました。なお、クラプトンもほぼ同時に日本公演中で、バリー夫妻は日本公演のあいまにクラプトンの公演を見に行っています。

しかし「とにかくこれからもたびたび来ます」という約束はとうとう果たされず、このあとビージーズが日本の土を踏むのは1970年代後半のフィーバーの狂熱時代を経て、アンディを失ったあとの1989年の「One For All」ツアーのことでした。これが三人そろっての最後の日本ツアーになりました。

またこのあとに「The Bull on The Barroom Floor」という開拓時代のアメリカを舞台にした映画を撮る企画が進行しており、結局実現しませんでしたが、「サージェント・ペッパー」とは違って普通にセリフがある映画のようでしたし、これが実現しなかったのは残念な気がします。ビージーズ三兄弟は一本はセリフのある映画を撮るべきだったと思うのです。

週刊FMの記事はこんな風に締めくくられています。

時代が移っていくように、音楽もどんどん変化してゆく。しかし、いつ聞いても良いものは良い。ビー・ジーズにとって今は新しく飛びたつ前のウォーミング・アップ中なのだろう。彼らのいう、練りあげられたビー・ジーズ・サウンドがより一日も(早く)私たちの耳を楽しませてくれることを願っている。

英語に「The rest is history.」という表現があります。直訳すると、「そのあとのことは歴史になっています」、つまり「そのあとのことは皆さんがよくご存じの通りです」という意味ですが、このあとの彼らの歩みは文字通り音楽史に刻まれているのはご存じの通りです。

{Bee Gees Days}

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