【2017年4月14日―CBS This Morning】「死別の悲しみと現在の心境を語るバリー・ギブ」

ビー・ジーズ((モーリス、ロビン&バリー・ギブ)
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既報の通り、「ビー・ジーズ・トリビュート・ライヴ」の番宣としてバリーが直前の4月14日(金)に「CBSジス・モーニング」に出演しました(動画リンクはこちらです)。5分ほどにまとめられた短いインタビューですが、取材側に芸能マスコミっぽい調子がないこともあって、バリーが現在の心境を率直に語って、なかなか深い内容に触れていますので、以下に簡単にまとめてご紹介します。聞き手は『CBS・ジス・モーニング~サタデー』のホストのひとりアンソニー・メーソンです。

ナレーション: 70歳のバリーは、現在の年齢を楽しんでいるという。

バリー: 若い女性が自分を見ているなあ…と思っていると、実はぼくを見ているんじゃなくて、ぼくの肩ごしにうしろにいる人を見ていた…という感じになってきたら、いよいよその時ですね(笑)。
Q: セックス・シンボルとして一世を風靡したあなたにとって、それはどんな気持ちでしょう?
バリー: いやいや、ぼくはまだそんな経験はありませんよ~っと(笑)。
Q: ゴールデンタイムのスペシャル放送ということについては、いかがですか?
バリー: いろいろと思うところがあります。みんなで笑って過ごした思い出とか、ぼくたちがいい曲をどれだけ書いたか、(ここで「傷心の日々」を歌うジョン・レジェンドを客席から見つめるバリーの姿が画面に映し出されます)、それを他の人に歌ってもらったか、とか。

ナレーション: 40年前の12月、「サタデー・ナイト・フィーバー」はジョン・トラボルタをスターにし、ビー・ジーズが中心となったサウンドトラックは6ヵ月間ナンバーワンの位置に座り続けた。

バリー: 何であれ、ぼくたちは夢を実現しました。その後のことは問題じゃない。いいんです。とにかく夢にたどり着いたのですから。

ナレーション: アルバムは4000万枚を超える売り上げを記録し、ビー・ジーズはポップ・カルチャーに不滅の足跡を刻んだ。けれどもたくさんの悲劇が待ち構えていた。1988年には末弟のアンディがドラッグ関連で亡くなり、2003年には腸捻転が原因でモーリスが急死。2012年にはロビンが長い闘病の末に癌で亡くなった。

バリー: みんなを亡くして、もうやり続けたいのかどうかもわからなくなっていた。今のぼくは二重生活を送っています。一方では、個人としてのぼくであろうとしていますが、同時に、何があっても自分はビー・ジーズの一員なのだということについて、熱い気持ちを持っています。
Q: 心のどこかに、いつかは止めたいと思っているあなたがいる、ということはありませんか?
バリー: いいえ。でももうこれ以上このことは考えたくないという気持ちになったことはあります。もう悲しみに囚われていたくなかったんです。

ナレーション: 2014年にバリーはついに初のソロ・ツアーを敢行した。

Q: どんな気持ちでしたか?
バリー(ため息をついて):ほろ苦い体験でした。でも、ステージに立ててうれしかったし、観客も観客の曲に対する反応もうれしかったです。
今は心の安らぎを求めています
Q: 安らぎは見つかりましたか?
バリー: と思います。
Q: その心境に達するまでは大変でしたか?
バリー: 10年かかりました。
Q: その過程でご自分も変わる必要があったのではありませんか?
バリー: 弟たちとの間にあったいろいろな問題を水に流す必要がありました。いろいろなことを忘れて、許しの境地に達する必要がありました。
Q: 許すというと何を?
バリー:何よりも兄弟間のライバル関係です。もう、こだわらないことにしました。
Q: 自分しかいない状態では許すというのは大変ではありませんか。つまり、もう会話が成立しないわけですから。
バリー:ぼくの場合、大変だったのは、いまだに会話が成立していたから、というのもあります。この10年、弟たちと話して過ごした日が何日もあります。時にはステージの上で弟たちと話すこともあります
Q: なんと! でもいない人の”声”がいっそう際立つということはありますよね。
バリー: 確かに!
ナレーション: けれども ビー・ジーズ最後のひとりとなってしまったバリー・ギブは、生きることを楽しむ境地に達したという。

バリー: 生きること。それが大切なんです。
Q: 今はその境地に達したわけですね。
バリー: そう、朝11時以降なら、しっかり生きています。11時前は生きてませんけど(笑)。

取材したメーソンさんが、最後に、「 2009年以来、バリーに4回インタビューしましたが、そのたびにバリーが弟たちを失った悲しみから少しずつ立ち直っているのを感じてきました。長い長い道のりでした」と実感のこもったコメントをしています。

途中、2009年秋(晩夏)にマイアミで取材されたバリーとロビンが一緒に歌う映像がはさまれています。2012年、ロビンが亡くなった後のインタビューで、バリーは、この時点でロビンの体調の変化に気づいて心配していた、と発言しています。また、3人の間、特にバリーとロビンの間に激しいライバル関係があったことには、特に昨年の『イン・ザ・ナウ』のプロモーション時からバリーが繰り返し言及するようになりました。話題に出せるようになって、バリー自身の側にもライバル意識があった(ロビンのソロでの成功を望まない気持ちがあった)と認められるようになったというのもかなり大きな変化ではないかと思います。一番近い位置にいて、仕事も一緒だった兄弟の間のこの深い軋轢は、彼らの人生の重低音として流れ続け、「傷心の日々」をはじめとする数々の悲しみの歌を生んでもきました。

「その場にいない人と話す」ことについても、バリーはしばしば発言しており、特に「ロビンは強烈な性格の持ち主だったこともあって、いまだにいろいろとロビンの”声(意見)”が聞こえる」と言ったりもしています。これからも弟たちの「声」をまとめて、ビー・ジーズのレガシーとともに着実に、そして何より幸せに歩んでほしいですね。

{Bee Gees Days}

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