SBID親善大使としてのロビン・ギブ

ロビンと一緒のヴァネッサさん(2011年)
写真提供:SBID

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2011年、ロビン・ギブはSBID(英国・国際デザイン協会)の親善大使に就任しました。このたび協会の創設者であり理事であるインテリア・デザイナーのヴァネッサ・ブラディさんが大英帝国勲章(OBE)を受賞、この機会にSBIDとの関わりなど、ロビンの思い出の記をBGDに寄せてくださいました。  

 

インテリアデザイナーがアイディア盗用の問題に苦しめられていること、作り手たちが自分のアイディアで食べて行くのがいかに難しいかなど、インテリアデザイナーが直面しているさまざな問題についてロビンに話すと、彼は「そんなにひどいんだ。ちっとも知らなかった。ぼくにできることはありますか?」と言ってくれました。そして世界規模で著作権保護に取り組んでいるCISAC(訳注:2007年から2012年に亡くなるまでロビンが会長を務めました)にわたしを紹介してくれた上に、パリでの打ち合わせの手筈を整えてくれました。ロビンのマネージャーが同行してくださったこの日帰り旅行のおかげで、クリエーターの権利を守るためのロビンの活動にインテリアデザイン関連も加えてもらうことができました。

それからもうひとつ言っておかなくてはならないのが、ロビンはとっても面白い人で、同時にすごく親切でやさしい人だったということです。

ロビンの右腕にあたるマイケル・ガーブットが旅行を手配してくださったので、SBIDを立ち上げるための活動がとてもスムーズにはかどりました。ロビンは病気が重くなったあとも、SBID国際デザインアワード立ち上げのためにパリに赴くと言ってくれたのですが、当日の朝に容体が悪化し、結局、車まで歩くこともできませんでした。それでもいかにもロビンらしいのは、ロビンもドゥイーナ夫人もわたしとの約束を守れなかった点をとても気にかけてくださったことです。わたしにすれば、人の命や健康に比べればアワードなんてどうでもいい、という気持ちだったのですが、ふたりともわたしがそう言うととても感謝してくれました。それがロビンの心遣いであり、ドゥイーナ夫人の地母神のような心根でもあったのでしょう。ふたりとも与える人間であり、ドゥイーナはわたしの前でも本当に献身的にロビンの看護をしていました。家族の苦しみを目の当たりにするというつらい役割だったろうと思います。

ロビンの手配でジョン・ウィッティングデール英国文化メディア及びスポーツ委員会会長と観劇したこともありました。3人で見たのは『Yes Prime Minister』というお芝居で、その夜はロビンとジョンが見ているということで内容もちょっと変えてありました。ロイヤルボックスに座って見たのですが、ロビンとわたしの間にちょうど柱があって、ロビンはまるでいたずらっ子みたいに、柱のあっちやこっちから顔をひょこっと出してみせたりするんです。いないいないばあをしている小さな男の子みたいでした。「こんなに具合が悪くてもロビンはいつもロビンなんだなあ」と思ったのを覚えています。

ロビンが何をするときも、そこには、世の中をよくしたい、公正を求めたいというロビンの気持ちが表れていました。突飛な行動をとって人を驚かすのが好きだったけれど、決して礼を失することのない人でした。お酒も飲まなければ、タバコも吸わないし、ドラッグもやらない…ロックスターのイメージとはほど遠い人だったと思います。思うに音楽業界の人の大半は演技者ですから、ワイルドなのはイメージだけ、役柄を演じているようなところもあるのではないでしょうか。

SBIDのサイト用のビデオ撮りのために、ピカデリーにある英国空軍クラブでロビンに会ったこともありました。いまそのビデオを見ると、本当に具合が悪かったことがわかります。取材の最後に「いろいろと力を貸してくださってありがとう」とわたしが言うと、ロビンはぱっと笑顔になって、首をかしげ、「どういたしまして」と言ってくれました。

劇場にご一緒したあと数カ月して、シャフツベリー街でミュージック・ウィーク誌の取材を受けるロビンに会いました。ロビンが息子のRJと一緒に書いた『タイタニック・レクイエム』のための取材でした。

ある雨の日曜日の午後、オックスフォードにある自宅にロビンを訪ねました。ロビンが撮影の準備をするあいだ、ドゥイーナが庭を案内してくれました。わたしはちょうど風邪をひいていて、薬でどうにか症状を抑えていました。ロビンが出てくると、髪もネクタイもシャツもスーツも…非の打ちどころのないいでたちでした。それに比べてわたしの方はひどいありさま。ロビンがこんなにちゃんとしているのに、わたしってひどい、と思ってしまいました。ロビンはいつものようにサムズアップをして、ジョークをとばしたり、犬のことで面白い話をしてくれたりしてから、一緒に邸宅のあちこちで撮影をしました。スタジオにもどると、RJが『レクイエム』をロビンに聞かせて、ロビンがそれに変更を加えたりしました。ドゥイーナはそこに立って、ふたりが歌ったり書いたり演奏したりするのを誇らしげに見守っていました。

こうして振り返ってみると、短い期間ではあったのですが、SBIDを立ち上げようと苦労していたのに誰にも助けてもらえず、かえって余計な邪魔をする人までいたときに、ロビンはそういう不当行為に我慢できない人でした。誰にでも手を差し伸べる人でした。わたしが一番困っているときに助けてくれました。何よりも、ロビンはやさしい心ゆえに、謝礼抜きでただ公正を求める純粋な心ゆえに、わたしを助けてくれたのです。

病気が終末期になり、無理がきかない日も、起き上がれない日もありましたが、結局、無理してしまったことも多かったようです。わたしに心から言えるのは、わたしにとってロビン・ギブは心の広い、やさしい、おかしくて、謙虚な人だったということです。

彼の葬儀ではドゥイーナが感動的な詩を書いて朗読しました。知っている顔も見えたけれど、誰もがみな黙って歩を進めていました。おしゃべりしたり、笑ったりするのは場にそぐわないことに思えました。墓地の向こうに、マイケル・ガーブットが悲しそうに佇んでいるのが見えました。大勢の人が見物に来ているのが不思議に思えました。テレビ局の人間やカメラマンが教会を取り囲み、そのざわめく衆人環視のただ中で、生前のロビンの友人や家族はロビンが行ってしまったのだと心に刻むために、いっときひそやかに身を寄せ合っていました。ロビンほどの地位にある人ならほとんどが傍観者の地位に安住したでしょうに、ロビンはわたしを助けてくれました。そのことをわたしはいつまでも変わらずに感謝し続けることでしょう。

女性のインテリアデザイナーとして、現在はSBIDのトップとしても活躍されているヴァネッサさんは、ビジネスウーマンであると同時に優れたクリエーターでもあります。そのためでしょうか、彼女はとても適確にロビンという人の本質(少なくともその一面)を描いてくださったと思います。一度大きな部屋の中でロビンと居合わせたときに、ふと間に人が立つと、ロビンがまるで「いないいないばあ」でもするようにぴょこぴょこ動き、ほぼ90度首を曲げてこっちを覗きこんでくれたので、目があって思わず笑ってしまったことを思い出します。間違いなく、彼は私が生涯出会った中でも一番面白い人のひとりでした。ときどき彼のジョーク(わりとしょーもない)を思い出しては泣いたり笑ったりしています。

SBIDのご好意でトップに掲載させていただいた写真は文中にも出てくる撮影会時のもの。風邪をひいていて体調がすぐれなかったとおっしゃるヴァネッサさんですが、どうしてどうしてお美しい……。それはともかくうしろの壁に『Here At Last』のRIAA公認ディスクがかかっていますね。

(Thanks: Vanessa Brady, SBID; West One Pacific)

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