続・姉レスリーが語るロビン・ギブの思い出【デイリー・ミラー紙2012年5月27日号】
イギリスのデイリー・ミラー紙(オンライン版2012年5月27日付)にも長姉の語るロビン・ギブの思い出が掲載されました。ロビンのピンチヒッターを務めた体験などすでにご紹介した記事と重なる部分もありますが、子ども時代のことなどこちらの記事にしかない部分を中心にまとめてご紹介します。
亡くなる直前にバリーが電話してきて、「今度はダメそうだよ、レス」って言うんです。「うん、わかってる」と答えると、バリーは「ぼくたちふたりきりになっちゃったんだね」って。信じられない、こんなことがあるなんて…。
レスリーさんがロビンのピンチヒッターを務めたテレビ出演については、ロビンも見ていて、「胸がいっぱいになった」と言ったそうです。
もちろん、わたしはロビンみたいには歌えなかったけれど、ギブ家のハーモニーという意味では同じようにできたのよ。ロビンはわたしの出演について、よかったと言ってくれたので、「それなら戻ってきなさいよ」って言ったんです。で、もちろん、最終的にはロビンは戻ってくれました。
子ども時代の思い出としてはマン島に住んでいたときにロビンの命を助けたことがあるそうです。
ロビンとモーリスが18カ月ぐらいでよちよち歩きをしていたころに、ロビンが水に落ちたの。上を向いたまま浮かんでいたのを覚えています。わたしは腰まで水に入ってロビンをわきの下で支えて、人が助けに来るのを待ちました。…わたしたちは愛情と音楽にあふれた環境で、とても幸せな子ども時代を過ごしました。素晴らしい時代でした。わたしたち、ロビンのことを「いばりん坊」って呼んでたんです。すごーくえらそうだったから。わたしのことを絶対にレスリーって呼ばないんです。いつも「姉貴」って言うの、10年ぐらい会わなくても、わたしが入っていくと、「やあ、姉貴じゃない、元気?」って言うんです(訳注:きょうだいの間でもファーストネームで呼び合う英語圏では、これは確かにちょっと独特の距離がある呼び方です)。でもロビンはものを考えるタイプで、とっても深い内面のある人でした。
最後に会ったのは2010年10月、ロビンが腸ねん転の緊急手術を受けたあとでした。
とっても元気そうでした。気分も爽快だって言っていたんですが、わたしはすごく痩せたなあって思ったんです。それから一カ月ぐらいして母から電話でガンだと知らせてきました。
これで母親のバーバラさんは三人の息子を失ったことになります。
母はわたしに「いったいわたしは何をしたっていうんだろうねえ、三人の息子をこんなに早くなくすなんて」って言うんです。ロビンが「あんまり成功したのがいけなかったんじゃないか」って言ったのは知っています。でも本当はなんとかなったことも多いんです。モーリスは腸ねん転だったんだからきちんと診断が下ってさえいれば、だいじょうぶだったはずです。アンディの方はわたしたちに心臓が悪いことを隠していたし。
レスリーさんは70歳のご主人の介護中であるためにロビンの葬儀のためのイギリス行きは断念するそうです。
バリーと母はわかってくれています。(…)ロビンはわたしの心の中に永遠に生き続けます。
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