【1979年2月15 日】第21回グラミー賞受賞式でのビー・ジーズ&アンディ・ギブ

第21回グラミー賞受賞式でのビー・ジーズとアンディ・ギブ(1979年)

今年のグラミー賞でのトリビュート・メドレーとその後の『グラミー・スペシャル~ビー・ジーズ・トリビュート・ライヴ』に続くグラミーつながりです。

ビー・ジーズが『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラで4冠を達成した1979年のグラミー賞の授賞式を振り返ってみます。

冒頭から客席に座っているアンディや、その後ろの列に青いジャケットで座っているロビン夫妻が見えます(正確には、ジャケットが青いのはロビンだけで、夫人は『クレオパトラ』の時のエリザベス・テーラーのようなユニークなヘッドドレスを着用)。

アンディはドナ・サマー(彼女もロビンとほぼ同じころに世を去りました)と一緒に「レコード・オブ・ジ・イヤー」のプレゼンターとして登場

「わたしたち、選ぶ役じゃなくてよかったわね~、アンディ」
「もう他の人が選んでくれたもんね~」
と、ふたりは仲良く、ノミネートされているアーティストの紹介を始めます。

ドナ・サマーが「ジェリー・ラファティ、チャック・マンジョーネ、ビリー・ジョエル…」と名前を挙げて行くと、ひとりひとりに対してアンディが「最高っ!」「素晴らしいっ!」「ファンタスティック!」と合いの手を入れていくという演出。

最後にドナがアンディの顔をのぞきながら、「ビー・ジーズ」の名前を出すと、アンディは一瞬沈黙してから、「誰それ?」と反応。

ドナが「せめて『ヘヴィ―(素敵)!』とか言いなさいよ」というとアンディの答えは、「彼らはヘヴィ―(素敵)じゃないよ、ぼくの兄貴たちだもん~」と歌います。ホリーズのヒット「兄弟の誓い(He Ain’t Heavy, He’s My Brother)」のメロディです。シャレですね。(このシャレは、ビー・ジーズ兄弟がいさかいをしていた60年代末によく英米の音楽誌の見出しで見かけました。ので、ファンはちょっと食傷気味?)

アンディがシャレを飛ばす直前に客席のロビンが映りますが、(ちょっとしょぼい?)シャレを言った瞬間にはカメラがステージのアンディに切り替わるので、ロビンが笑ったかどうかはわかりません~。意外とおやじギャグ好きだったロビンの反応が見たかった!

ビー・ジーズは「ステイン・アライヴ」でノミネートされていましたが、受賞したのは「素顔のままで」のビリー・ジョエルでした。(おめでとう~、ビリー・ジョエル! 残念、ビー・ジーズ!)

白のローファーの足取りも軽いアンディはとてもさわやかな印象。「男性版ファラ・フォーセット=メジャース」とアンディを形容したアメリカの記事を見たことがありますが、明るい色のレイヤーカットの髪といい、スポーティで華やかなところといい、確かに当時一世を風靡していたテレビ『チャーリーズ・エンジェルズ』のスターに似た雰囲気があったかもしれません。

ビー・ジーズが『サタデー・ナイト・フィーバー』で受賞した「アルバム・オブ・オブ・ジ・イヤー」のプレゼンターは二―ル・ダイヤモンド。バリーはカール・リチャードソン、アルビー・ガルーテンとともに映画『グリース』のOSTのプロデューサーとしてもノミネートされていました。

二―ル・ダイヤモンドが『サタデー・ナイト・フィーバー』と勝者を読み上げてガッツポーズをしてみせると、「ステイン・アライヴ」のインスト・ナンバーが流れる中、バリー、ロビン、モーリスをはじめ、関係者がステージ上に集結。バリーが代表して簡潔に謝辞を述べます。バリーはちゃんとバンドメンバーの名前も「アラン・ケンドール、デニス・ブライオン、ブルー・ウィーヴァー」と連呼してお礼を言っています。

三兄弟とも狂喜しているというより、わりとクールな印象。もみくちゃにされていた年ですから、ちょっと疲れていたのかも?

この年のビー・ジーズの4冠は、アルバム・オブ・ジ・イヤー、ベスト・ポップ・ボーカル・パフォーマンス(グループ部門)、ベスト・アレンジメント(「ステイン・アライヴ」)、プロデューサー・オブ・ジ・イヤーでした。

第21回グラミー賞受賞式は、1978年中の業績に対して、1979年2月15日にロサンジェルスのシュライン・オーディトリウムで行われました。

{Bee Gees Days}

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