【1977年5月】米誌「コンサート評 ビー・ジーズinロサンゼルス」

1976 年12月に行われたBee Geesロサンジェルス公演のレビュー(’TEEN誌1977年5月号より)

ビー・ジーズ ー 才能あふれる兄弟グループ

キャリア10年、はたまた15年、売り上げたレコードが1000万枚、はたまた2000万枚…といったレベルのバンドは、ビー・ジーズに言わせればまだまだビギナー。ビー・ジーズのギブ兄弟は20代後半にして、すでに21年のキャリアを誇っています。ふたごのモーリスとロビンは、兄バリーと一緒に歌い始めたときにはまだ6歳。以降、実に6000万枚のレコードを売り上げています。

「ジャイヴ・トーキン」とか「ブロードウェイの夜」「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」といった最近のヒットも、ヒットだらけの彼らのレパートリーのごくごく一部にすぎません

本誌’TEENは彼らのロサンゼルス公演をキャッチ、好きな曲が次から次へと演奏されたのにはびっくりでしたが、まだまだ「あれもやって、これもやって」と叫んでいたら、真夜中を過ぎてしまったことでしょう。

ビー・ジーズの長い人気を考えれば、観客の年齢層の幅の広さも納得。ティーンエージャーもいれば、その両親の年代層も、みんなが彼らを聴きに来ていました。ギブ兄弟の絶妙なヴォーカルとなんといっても趣味のいい曲の数々が年代を超越していることは、観客の誰もがうっとりと聴き惚れていたことでわかります。

ヤシの木をあしらい、背景は真っ白のステージをライトが照らし出して、25曲に及ぶ演奏のはじまり。オープニングは「獄中の手紙」。穏やかに幕をあけたコンサートですが、しかし、中盤になって「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」の超センセーショナルなバージョンが登場するに及んで巨大なディスコ状態に。最初の数小節が終わるころには、ほぼ全員が踊り、拍手し、歓声をあげていました。

それからビー・ジーズのオールディーズのメドレー。「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「ラン・トゥ・ミー」「ジョーク」等の曲も観客には大うけでしたが、もっと落ち着いて、しんみりした感じで聴かれていました。

フィナーレではより激しい「ブロードウェイの夜」と「ジャイヴ・トーキン」の2曲が登場、アンコールの声がやみません。再びステージに戻ってきたビー・ジーズは、コンサートの成功を祝うように、代表曲のひとつである「ロンリー・デイ」を歌いました。

彼らが辿ってきた道をふり返ると、皮肉なことに、10年前の彼らは、音楽的キャリアの先行きに光を見い出せず、故国(訳注 原文のままです)オーストラリアを後にして、イングランドに活路を求めたのでした。実に、イギリスに向かう船の上で、自分たちの曲「スピックス・アンド・スペックス」がついにオーストラリアでブレイクしたという知らせを受け取った彼らですが、すでに決意はかたく、新たな道を求めて旅立ったのです。

1967年、イングランドに到着した彼らはレコーディング/マネージメント契約を交わし、1ヵ月後には最初の国際ヒット「ニューヨーク炭鉱の悲劇」を飛ばしました。世界ツアーがこれに続き、ほどなくビー・ジーズはロックのスタンダードに仲間入り。クラシカル・ロックと称された彼ら独自のスタイルは当時の最先端、もちろん、そのムーブメントのリーダーはビー・ジーズでした。

しかし大成功を収めた3年間が過ぎて、問題が起きます。グループ内にも軋轢が生じた結果、ついにロビンが兄と弟から離れてソロとなる決断を下します。

この分裂によってアメリカでのビー・ジーズ人気には陰りが見られましたが、世界的にはその人気ぶりはあいかわらず。ギブ兄弟はアメリカ以外の国でヒットを飛ばし続けたのです。

けれどもロビンの独立を呼んだグループ内の軋轢は収まったわけではなく、まもなく、バリーとモーリスもソロの道を選びます。しかしふたりともあまり成功したとはいえず、ビー・ジーズもこれで終わりかと思われました。

2年後、問題も解決して、3兄弟はビー・ジーズを復活させます。これ以上にないほどの完璧なタイミングでした。再結成の曲「ロンリー・デイ」は彼ら最大のヒットのひとつとなり、再生ビー・ジーズは見事なレコードを創り出し続けて、その勢いは今も衰えることを知りません。最近ではディスコが彼らの音楽の中心になっています。おそらく、これも彼らにとってひとつの季節に過ぎず、すぐにまた新しい流れを追究する彼らの姿が見られることでしょう。

今回のツアーに出発するにあたり、バリーは次のように語っています。「ぼくたちはいろいろな経験をしてきました。成功を求めてあがいていたこともあるし、大成功したこともあります。解散し、再結成し、複数のナンバーワン・ヒットを飛ばし、世界ツアーもしました。もちろん、あらゆる面で進歩し続けたいと思っていますが、今現在の大きな目標は強力なアルバムを作ることです。ぼくたちが創造してきた音楽には誇りを持っていますし、これからも音楽を創造し続けたいと思っています

ぜひ、そうしてください。(’TEEN誌)

今回、この記事を取り上げようと思ってすごくひさしぶり(何十年ぶり?)に読み返してみて、実はけっこう驚きました。ティーン雑誌(注 この雑誌、’TEEN誌なんです。老舗TEEN誌と同じ雑誌なのか、似た名前の別の雑誌なのか、ちょっと調べたのですがよくわかりませんでした)の音楽記事なのですが、当時のビー・ジーズの立ち位置、この段階での彼らの「昨日・今日・明日」が、ティーン雑誌独特の「アイドル上げ」みたいな論調の中に実にしっかりと総括されています

【昨日】は、「オーストラリアでは成功できず、英国に渡って60年代末に人気を得たが、内部の軋轢から解散した」こと。実はオーストラリアでは人気グループとはいいがたい位置にあり、ヒットを連発していたわけではなく、オーストラリア時代最後のシングルとなった「スピックス・アンド・スペックス」が最初のヒットだったこと。

マネージメントの戦略もあったのでしょうが、オーストラリアでも大スターだったように書かれることが多かったなか、これはけっこう正確な総括です。

ただ、「クラシカル・ロック」と書かれているのは個人的には馴染みのない言葉でした。一般に、ハープシコードやチェロなどを使った67~69/70年の彼らのスタイルは「バロック・ポップ」と呼ばれています。5人組時代のビー・ジーズはバロック・ポップの名手として知られていました。

【今日】は、「再結成後、Lonely Daysが大ヒットし、その後も順調にヒットを飛ばし続けており、最近はディスコ系の音楽をやっている」こと。

実は「ロンリー・デイ」(70~71年)、「傷心の日々」(71年)、「ラン・トゥ・ミー」(72年)のあと、いったんヒットが途切れ、ビー・ジーズ本人が「どん底時代(wilderness years)」と呼ぶ73~74年があります。しかし75年にはすでに新機軸の第一弾「ジャイヴ・トーキン」が全米1位になっていますから、「その後、長く低迷していた」という一般の論調には無理があると個人的には思っています。特に世界的には人気を持続し、「ひとりぼっちの夏」(73年)が香港でNo.1になったりしていたわけですから、この’TEEN誌記事に総括されている内容はおおむね正しいと言って良いでしょう。

そしてすごいのが、「ディスコが現在のトレンドだけれどこれも彼らにとってはひとつの時代に過ぎず、またすぐに次の流れに入るだろう」とこの段階ですでに書かれていることです!

この【明日】は、予言的であると同時に、「こうあって欲しかった未来」を垣間見せてくれるようなコメントです。

冒頭にも書きましたが、この記事はアルバム「チルドレン・オブ・ザ・ワールド」発表後、1976年12月に実施された全米ツアーについてのものです。ここで書かれているロサンゼルス公演とは、1976年12月20日に行われたChildren of the Worldツアーの最終公演であり、録音されて後に『Here At Last: The Bee Gees Live(邦題 ビー・ジーズ・グレイテスト・ライヴ)』として発表された文字通り伝説のライヴです。

最後に引用されているバリーのコメントから考えて、この記事の内容はおそらくツアーを始めるにあたってマネージメントかレコード会社が出したプレスリリースに基づいているのではないかと思われます。つまり、この段階で彼らはすでに「次の段階」を考えていたということですね。

このバリーのコメントにある「強力なアルバム」は、このライヴ完成後に書いた曲を入れた『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックという形で、さらには続いて全英米No.1となったアルバム『失われた愛の世界(Spirits Having Flown)』という形で実現しています。

ただ、この多様で幅の広いグループには、映画『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』でも描かれていたように、進歩し、変化していくことを許さない世間の前に回り道を強いられる未来が待っていました。数十年の後にふり返ってみると、「今度はまた別のサウンドに取り組んでいるんだ」と彼らが明るく語るような未来がなかったことがとても残念に思えます。成功しすぎたという理由でラジオからも締め出された彼らを代表して、バリーがカメラの前で「これからも音楽を創造し続けたい」と怒りを隠せない映像を映画を観た方はご記憶でしょう。

この記事の結びの言葉にあるように、「ぜひ、そうして」欲しかったです。

もうひとつ、いま読むとすごいなあと思うのは、”この段階で彼らはすでに長い人気を誇っていたので、観客の年齢層が広い”とあることです。

これはちょっとうらやましいですね~。まだ各地で上映中の映画『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』は現状では世代を超えて音楽ファンに届いているとはいいがたいのは残念なことです。

{Bee Gees Days}

© 2009 - 2024 Bee Gees Days. 当サイト記事の引用・転載にあたっては出典(リンク)を記載してください。

おすすめ

error: 記事内容は保護されています。