【追悼】バリー・ギブがコール・ジョイに寄せた追悼の言葉

(若きバリーの曲「Starlight of Love」のコール・ジョイによるカバーを紹介したYouTube動画より画像をお借りしました)

すでにご存じのように、オーストラリアのミュージック・レジェンド、コール・ジョイが去る8月5日に亡くなりました。88歳でした。

50年代、60年代にオーストラリアのティーンアイドルとして活躍したコールですが、ビー・ジーズのファンにとっては、オーストラリア時代の少年ビー・ジーズとのかかわりで特に知られています。コールの逝去に際して、バリーが自身のオフィシャルFacebookページで、心のこもった追悼の辞を捧げました。

コールの逝去を知って悲しみの思いに耐えません。彼はオーストラリアのロックンロールのパイオニアとしてこれからも長く人びとに記憶されることでしょう。僕たちの目を世界に向けて開いてくれた人でした。いつでも幸せいっぱいで、まわりの誰に対しても親切で気前がよい人でした。彼がベストの状態にあるときには、目の輝きでわかりました。ほかの誰も知らない何かを知っているんだよ、というように、いつも笑っている人でした。誰ひとりとして、コール・ジョイを忘れることも、コール・ジョイのウクレレを忘れることもないでしょう。僕の家族を代表してコールの家族へ、僕たちはみな愛情をこめて祈り、あなたたちと思いを共にしています。ときどき、あのウクレレの音が聞こえてきます。僕はギターを手にとると必ず『バイバイ・ベイビー』を口ずさんでしまいます。さびしくてたまりません。バリー
ここでバリーが話題にしているのはコールのキャリアを代表する1959年の大ヒット「Bye Bye Baby」です。コールの逝去を報じるオーストラリアのニュース番組❝9News❞でもこの曲を歌うコールの姿を見ることができます(0:30あたりです)。
また、ビー・ジーズのフェスティヴァル・レコード(リードン・レーベル)との契約が実現するにいたったのもビッグネームであったコールの応援が大きく貢献したといわれています。

上記の動画では1:52あたりでビー・ジーズが登場します。

歌手として成功していただけでなく、タレントスカウトであり、マネージャーでもあったコールが1963年に見出したグループ、それがビー・ジーズです。「彼ら、”いい”なんてもんじゃなかった。”素晴らしかった”んです」
コールの後押しがなければ、その後のビー・ジーズが歩んだ道はずいぶん違ったものになったかもしれません。彼はソングライターとしてのバリーの才能にも着目し、1963年にフェスティヴァルから出した彼のシングル「Put’em Down」のB面にバリーの曲「(Underneath the) Starlight of Love」を取り上げています。(トップの画像はこの動画からキャプチャさせていただきました)この曲はCDではFestivalから発売されたビー・ジーズ初期のレアなカバー曲を集めた『Assault the Vaults』に入っています。

バリーとコールの交友は生涯続いたといわれていますから、バリーのコメントが悲しみに満ちているのもわかりますね。

{Bee Gees Days}

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