【2020年12月NYタイムズ紙】”バリー・ギブには使命がある”(その3)

ビー・ジーズの曲をカントリーのアーティストたちと組んで歌った2020年発表のデュエット・アルバム『グリーンフィールズ:ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック Vol. 1』の発表を前に、バリーがニューヨーク・タイムズ紙と行ったロングインタビュー(その3・完結編)です。
しかし、こうした別の宇宙からやって来たようなアルバムでさえ、チャートを狙ったものではあった。ビー・ジーズは、ブライアン・ウィルソンのように、砂場で迷子になったような実験的な段階を経験したことがない。彼らははいあがることに賭けた移民であり、順応性と勤勉さを兼ね備えてもいた。マネージャーであると同時に彼らのレコーディングの所有者でもあったスティグウッドのために働いていたが、この利益相反は何十年にもわたって見過ごされた。
1969 年までには、ビー・ジーズの3人は全員結婚し、別々の生活を送っていた。「イギリスに渡ってから、僕たちは本当の意味でお互いを知らなくなっていたと思います」とバリー。彼らは、バリーとロビンという 2 人のフロントマンを擁する兄弟バンドならではの不和に陥っていった。ロビン・ギブは 1969 年にグループを脱退したが、スティグウッドの要請を受けて 18 ヶ月後に復帰している。だが、山積した問題は未解決のままの状態だった、とバリーは言う。彼らは話し合う代わりに「傷心の日々」を一緒に書いて、口に出せなかった思いを互いに歌い合った。
70年代初頭は創り手としてのビー・ジーズにとって低迷期だったが、友人のエリック・クラプトンの勧めでマイアミに拠点を移した後、歴代屈指の売り上げを誇るレコードを次々に生み出しはじめた。
傑作「ジャイヴ・トーキン」のような曲は、ビー・ジーズのこれまでの作品よりもビートを重視していたた。バリーは、この新たな方向性をR&Bへの移行ととらえている。しかし1977年に、スティグウッドが製作した大ヒット作『サタデー・ナイト・フィーバー』に曲を提供したことで、彼らのイメージはがらりと変わった。ジョン・トラボルタが「ステイン・アライヴ」のしなやかなベースラインに乗ってベイリッジの通りを闊歩したその瞬間に、ビー・ジーズはディスコ・バンドになってしまったのだ。「ステイン・アライヴ」は、バリー・ギブが発見して間もない苦悩に満ちたファルセットを聴かせる曲だった。
「僕たちは流れに飲み込まれました」とバリーは語る。「ただ自分たちの好きなレコードを作っていただけなのに。僕たちは、『ディスコ』という呼び方さえしたことがない。僕はスタイリスティックスのレコードがディスコだと思ったこともなければ、マンハッタンズの『Shining Star』がディスコだと思ったこともない。『Too Much Heaven』もディスコじゃない。『How Deep Is Your Love』もディスコじゃない。でもレッテルを張られてしまう」
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラック・アルバムはビー・ジーズ最大のヒット作となった。1600万枚を売り上げ、サントラとしてはホイットニー・ヒューストンの『ボディガード』に次ぐ史上2番目の売り上げを未だに誇る。
1979年、ビー・ジーズは尾翼にロゴが描かれた特注のボーイング720型旅客機を使ってワールド・ツアー(訳注 実際には北米ツアー)を実施したが、そのときすでに白人のロックンロール・ファンの間では反動的な反ディスコ運動が台頭してきていた。その夏、ホワイトソックスのダブルヘッダー戦で、試合と試合の間にシカゴのディスク・ジョッキー、スティーヴ・ダールがコミスキー・パークのフィールドでディスコのレコードをいっぱいに詰めた木箱を爆破してみせた。
フランク・マーシャル監督のドキュメンタリー映画『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』では、シカゴのハウス・ミュージック・プロデューサー、ヴィンス・ローレンスが当時を回顧する。その夜、コミスキー・パークで案内係として働いていた彼は、ディスコとはまったく無関係な黒人アーティストのレコードを持った人びとが続々とやって来るのを見たといい、このイベントは「人種差別的で同性愛嫌悪的な焚書」だったと語っている。
文化現象としてのディスコは、黒人や有色人種、ゲイのものだった。ビー・ジーズはそのどれにも該当しなかったが巻き添えを食らった。彼らはディスコというジャンルを象徴する存在であり、「ディスコはクソだ」運動によって瞬時に社会から排斥される存在になった。マーシャル監督のドキュメンタリーは、爆破へのカウントダウンと、迫りくる運命を知らぬ気に、銀色の衣装に身を包んで微笑みながらステージに立つビー・ジーズの姿を交互に映し出してみせる。
「彼らの置かれた状況は一夜にしてがらりと変わった」とマーシャル監督は語った。「それまで夢見てきたことの全てが実現している状態で、彼らは絶頂のただなかにあった。ところが突然すべてが悪夢と化し、移動するには護衛が必要になり、爆弾をしかけるぞという脅迫まで届くようになった。『ちょっと待ってくれ、僕たちはただの音楽グループなのに』というのが彼らの反応だったが、事態は彼らの思いをはるかに超えていた。歴史が動く瞬間であり、彼らはその渦中に巻き込まれてしまった。最高の瞬間が最大の悪夢に変わってしまったのだ。ものすごい皮肉だったと思う。その点に惹かれた」
バリーは、コミスキーでの出来事で心を痛めることはなかったという。「何であれ、いずれ終わりが来るものだということはわかっていました」
しかしもちろん、ことビー・ジーズに関しては、終わりなんてものはありえなかった。ディスコの終焉を告げる弔いの鐘が鳴った後、バリーと弟たちは、長い間、ジョークのネタにされ、サンドバッグ扱いされた。『サタデー・ナイト・ライブ』で放送されたパロディ「バリー・ギブ・トークショー」を初めて見た時には「ちょっとむっとした」とバリーも認めている。バリー役のジミー・ファロンはすぐに機嫌を悪くしてどなりちらす傲慢ぶりで、ロビン・ギブ役のジャスティン・ティンバーレイクは必死に笑いをこらえている様子だ。だが、バリーがむっとしたのは、実生活で「怒ってばかりいるのは実はロビンだった」からだ。(バリーは、2013年クリスマスに放送された『SNL』の特別編にゲスト出演し、ファロンやティンバーレイクと一緒に歌ったりもした。別に悪感情は持っていない)
バリーには、もう一度ポップチャートを制覇しようという気持ちはない。こうしたデュエットのようなレコードをもっと作れればそれで十分だ。「僕はカントリー歌手です」と彼は言う。「これからもずっとカントリー歌手です。他の要素はすべて手放しました。白いスーツなんかもう一着も持ってませんよ」
けれどもバリーは、長い間に、自身の音楽を巡る意見が変化する様子を目の当たりにもしてきた。ネット上に何十本と出回っている動画では、ユーチューバーたち——大半は黒人で、90年代後半にワイクリフ・ジーンが「ステイン・アライヴ」をサンプリングしたことさえ知らないほど若い世代だ——が、ビー・ジーズのアルバム『Spirits Having Flown』に入っているバラード「Too Much Heaven」のビデオに反応している様子を見ることができる。
当時を象徴する記録映像であり、まるで時間のソファクッションの間から今は売られていない痛み止めの錠剤が出てきたみたいだ。ビー・ジーズは羊歯がいっぱい置かれたスタジオで、ストリングスをバックに歌っている。3兄弟は襟元が大きく開いたシルクシャツを着ており、バリーのジーンズは下品なジョークの的になる。だから最初は、ユーチューバーたちは懐疑的だ。しかし、ヴォーカルが入り、バリーと弟たちがただその声だけを使って空中に大聖堂を築き始めると、ほぼ例外なく、ユーチューバーたちは言葉を失う。
バリーは、この類の動画は見たことがない。しかし、若者たちが「愛はきらめきの中に」などビージーズの曲をカバーするオンラインの動画をいくつか見ており、その中にはなかなか悪くないものもあったという。「11歳か12歳そこらの男の子とかね。とにかく、あの子なんか、冷静さを保つことさえできれば、偉大なアーティストになれると思いますよ。冷静さを保てるかどうか、それが永遠の課題です。そうじゃありませんか? 永遠の課題ですよね」

最後は歩み去っていくバリーの後ろ姿というのも余韻を残しますね。筆者はアレックス・パッパデマス氏、ニューヨーク・タイムズ紙のほか、GQ誌の文化関係などの上級寄稿編集者ということですので、さすがに読みがいのある論考でした。元記事の当初のタイトルは「輝きは去っても、声は残る」というものだったそうです。トップの画像は『キューカンバー・キャッスル』時代の若きバリーですがバリーの写真はこのほかにも掲載されていますので、元記事もご覧になってみてください。
興味深かったのは、ビー・ジーズを”はいあがろうという強い気持ちを持った移民”と位置付けている点です。確かに彼らは恵まれない環境から抜け出すことを目的のひとつとしたグループでした。一発屋で終わらなかったのは才能もさることながら、そうした「このままでは終わらないぞ」という不屈のメンタリティも大きな役割を果たしていたのだと思います。
「冷静を保つことが永遠の課題」というバリーの言葉で記事は締めくくられますが、兄弟の絆と才能にあふれてビー・ジーズでさえ、冷静さを失った時代があるのでしょう。2005年に来日したロビンと話した時に、彼が苦渋に満ちた声で「あのころ僕は子どもだった、愚かな子どもだった」と語ったのが忘れられません。
『グリーンフィールズ』の発売前であると同時にドキュメンタリー『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』デビューのタイミングで書かれた記事でもあります。ステージに立つビー・ジーズと反ディスコ運動のカウントダウンが交互に映し出される(流れているのは爆発音(!)を含むドラマチックな「Tragedy」)というのも、映画の中で最も緊迫した場面のひとつでした。
もう一度ドキュメンタリーを見直したくなりますね。このサイトを読んでくださっている方のほとんどがブルーレイ盤とかをお持ちかと思うのですが、現在アマゾン・プライムでもレンタルその他での視聴が可能です。また、いつかもう一度大劇場、大音響でも観たいものです。
{Bee Gees Days}
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