【1978年米誌】ビー・ジーズ、ソングライティングを語る(その4)
ちょっと長い記事だったので、分割してアップしましたが、いよいよ締めくくりの(その4)です。途中、いろいろとアクシデントに見舞われ、長く更新をお休みする結果になったので、長いといってもそこまで長いわけでもないのに、なんと数カ月もかかったしまいました(汗&😢)。
「プロとして、自分たちをどんな存在だと考えていますか。あなたたちは、ライター、パフォーマー、あるいは歌い手のどれでしょうか?」
「ソングライターです」というのがバリーの答えだった。
「ソングライターであり、自分たちで書いた曲のレコード製作者であって、その次にパフォーマーです」とロビンがさらに言う。「パフォーマーとしての僕たちが最後に来ます。自分たちが世界いちのステージ・アクトだとは思っていません。ステージ装置みたいなものを使ってもいないしね。ただステージに立って、自分たちが書いて成功させた曲を、せいいっぱいに実演するだけです」
「実際のところ」とバリー。「僕たち、ステージよりスタジオで歌う時の方がずっとうまいんです。僕たちは良いレコーディング・グループで、自分たちの声を使っていろいろなことができる。音域の面などでいろいろな実験が可能ですから。レコーディングするときには音域をうまく利用して、しっかりと基礎を作ります。まず低音域の部分の音をつくってから、同じ部分をもう1オクターブ高く歌う。それからその上にハーモニーをのせる。レコードでは自分たちの声を使っていろいろとやっています。さっきも言いましたが、試行錯誤、試行錯誤、試行成功の繰り返しです」
「他のアーティストをプロデュースしたり、他のアーティストのために曲を書いたり、という可能性はありますか?」
「イエス」とバリー。「できるかぎり、僕たちの音楽を広めていきたいです。もしまた映画音楽をやるチャンスがあれば、ぜひやりたいです」
「いまやっていることを、倒れるまで続けたい」とロビン。「年齢制限なんてありません。曲を書くのに年齢制限なんてない。19世紀には60代になっても70代になっても曲を書いている人たちがいて、それが当時の人気音楽でもありました。ライティングは永遠です。ベートーベンは死ぬまで書き続けました。ベートーベンに向かって、”おい、ルートヴィヒ、もう30代になったんだ! そろそろ引退しろよ!”なんて誰も言わなかった」
「ソングライターにアドバイスを求められたらなんと言いますか?」
「意味のあることを言うのは難しいですね」とバリー。「その人たちが、ソングライターなのかどうか、わかりませんからね。ぼくたちも曲を書くようになった当初は、どこから手をつけていいものか、わからなかった。すでにソングライターであって、ヒット曲になるだけの深さと意味のある曲を書いているのだったら、今度はその曲をレコードとして発表するにはどうしたらいいのか、ということを考えなくてはならないと思います。これをどう実現するか、そのやり方は、どんな人であれ、自分というものをいちばんプラスになる形で実現する道はどんなものかがわかっているかどうか、そこにかかっていると思います。そしてまた、その一歩を踏み出すだけの準備があるのかどうか、かな」
「準備ができているというのは大切なポイントです」とロビン。「曲を書いているという人がやって来て、”お話しできますか?”と言われることがあります。”僕はソングライターで、こんな素晴らしい曲を書いたんですが…”と言うんです。だけどね、一曲書いたからといって、ソングライターとは言えない。ことわざにもあるけれど、”ツバメが一羽飛んでいたからって、夏が来たとは言えない”んです」
「曲作りという面では、いつか自分たちが枯渇するかもしれない、と思いますか?」
「そう思った時もありますが、もう思っていません」とバリー。「今は4-5年前に信じるようになったことを信じています……プラス思考です。僕たちも成功できなかった時期があります。当時の自分たちをふり返ってみると、自分たちの考え方そのものがネガティブだったんですよね。それでビー・ジーズは変わってしまい、ドツボにはまってしまった。一番いけないのは、そのドツボから出ることを自分たちで拒否していたことです。僕たちは誰に対しても扉を閉ざして、”僕たちは自分が好きなようにやっているんだから……ほっといてくれ”と言っていたんです。そのダメージは大きかった。
マイナス思考が僕たちをダメにしているんだ、と悟ったからこそ、そこから脱け出すことができました。プラス思考がこれすなわち成功です。これは繰り返し証明されてきています。単なる言葉のあやじゃありません。頭の中をしっかりとプラス思考にしておけば、そして自分のしていることを信じていれば、そしてやりながら”これは成功するぞ”と自分に言い聞かせていれば、他の人にもそう信じてもらえるんです。”このレコードは心配なんだ……きっとダメだと思う”と言えば、人はそう信じてしまうでしょう。それを広めれば広めるほど、ますますダメージが大きくなる。”これはダメだ”という考えが別の人の頭に伝わって、その人がまたさらに考えを進めて、最終的には失敗が生まれる。取り組んでいることを成功させるのは、自分がしていることに対してポジティブな人ですよ」
「成功と心のありかたが関連しているのだとして、ソングライティングにはある種の神秘的な側面があって、それがあなたたちの意識的、本能的な能力を増大させていると感じたりしますか?」
「はい、よく感じます」と、バリーは答える。「ときどき座って曲を書いていると……ほら、ロビン、何も思いつけないでいると、ふいにあっちからやって来ることってあるよね? 僕たちは、オープンにしているんです…演奏したり、歌ったりしていて、ある特定の箇所までくると、ときどきふたりとも同じように歌ったりする。だけど、その部分が、また単に良いっていう以上なんです、素晴らしいんです。で、僕たちはふたりで顔を見合わせて、”えっ、何これ、こんなのどこから出てきたんだろう?”って言ったりする。ふたりとも呆然として座り込んじゃったりします。特に、その一行がもともと計画していたわけでもなんでもないのに、すぐ前の行とちゃんとつながっていたりするとね」
「あっちからやって来る、っていう感じですね」とロビンも言う。「ときどき、僕たち、我ながら驚いちゃいます。まるで、誰かに”その箇所はこれで”って言われたみたいで。どこかから受信したみたいな感じです……誰かが、僕たちに、”その一行はその部分に使うべきものなんだよ”と伝えようとしているみたいなんですよね」
「他の一行じゃダメだったところなのに」と言うのはバリーだ。「たとえば、”I thought you came forever and you came to break my heart(永遠に結ばれたと思っていたのにぼくの心を打ち砕きに来ただけのひと)(訳注 蛇足ですが注をつけると、ご存じ、アルバム『Children of the World』からヒットした「Love So Right (偽りの愛)」の印象的な一行です)。考えついたっていうんじゃないんです。座って一緒に歌っていたら、出てきちゃった。まあ、考えついたのかもしれないけど、とにかく意識的に考えついたというのじゃないんです」
ビー・ジーズのキャリアは驚くべきものですね。20年間もこの業界で仕事をしてきて、さらに良くなり続けている。いまの音楽の世界じゃ、せいぜい5-6年活躍して燃えつきて、煙のように過去の中へと消えていくようなキャリアが多いというのに。
「ただ過去の一部でいる、なんて気はまったくない」とロビン。「僕たちは”現在”の一部でありたい。コンテンポラリーでありたい。いまある音楽とつながっていたい。”ああ、あの人たち、60年代末に活躍してたよね、70年代末に活躍してたよね”って言われるようにはなりたくない。みんな、すぐ”60年代とか70年代とか年代単位でものをいうじゃないですか。年代が変わると、今度はニュー・アーティストの出番だ、みたいな。そんなのを変えてしまいたい」
バリーが引き取ってこう結論づける。「結局、長いあいだ聴かれ続けるような存在でありたいか、ただ時流に乗って活躍したいだけか、っていうことですよね。僕たちは、この世界に入った時から、ずっと思ってきました。僕たちが願うのは、僕たちが目指すのは……常に向上し続けていることです。これでいい、これを目指していたんだ、と思ってしまえば、そこで終わりだ。”すごい! これでおれも成功者だ!”と思うようになったら、理想を失って、気が抜けてしまう。気が抜けてしまえば、つまり、それで終わりですよ、キミ」
ギブ兄弟にとっては、”それで終わり”どころではない。ちょうどこのときモーリスが帰ってきて、三人がどのぐらい仲がいいのかを目の当たりにすることができた。モーリスはふたりの兄に映画『サージャント・ペッパー』撮影中の冒険談を披露し、三人のやりとりはまるでコメディ・トリオのようだった。ジョークが飛び出すかと思えば、ユーモアたっぷりの一言があり、常に誰か一人はまじめ人間の役まわりを務めていた。
僕たちは、失礼する前に、書いたばかりの新曲のデモ入りカセットを聴かせてもらった。”Where Do I Go”という曲だったが、いずれレコーディングして発表すれば、ヒット間違いなしという感じだった。大ざっぱなデモで、曲としてもまだ未完成だったが、傑作だった。バリーいわく、「歌詞はまだできあがってないんですが、完成したら意味のある内容になるはずです。それにメロディがいいんだ。感触がいいんです。まだそこまでの出来じゃないんだけど……いけると思う」
若き日にオーストラリアで嘗めた苦労、これまでの業績、彼らが持つ可能性、前向きな態度、さらには彼らに会った今となっては、ビー・ジーズが「いけると思う」とストレートに言うなら、僕としては”キミたち(cobbers)”を信じる以外にない。
この取材が行なわれたのは(その1)にもある通り、1977 年11月のこと。当時、ビー・ジーズはロサンジェルスに滞在して映画『サージャント・ペッパー』の撮影中でした。それからほぼ半世紀、50年近い時を経て、この記事を読んでみると、なんともいえない感慨があります。
何よりも、この取材を行ったのがソングライターとしての彼らを高く評価している人物だったこと、これがこの記事の大きな大きなメリットでしょう。しかもバリーはこの雑誌を定期購読しているほど関心を寄せてもいたわけです。だからでしょう、いつになく率直に彼ら独特の方法論を語り、手の内を明かしているという印象があります。残念だったのは、モーリスがその場にいなかったことですが、彼らのパーソナル・マネージャーがかつて「彼らに取材するなら個別がいい。三人そろうとお笑い三人組になってしまう」と発言したことがある通り、最後にモーリスが登場してみたらどうやら”お笑いの時間”になってしまった模様で、モーリスの方法論などを聞くに至らなかったのは残念です。でもひょっとしたら、最初からモーリスがその場にいたら、終始「お笑いの時間」だったかもしれないので、このインタビューはそうした意味でも貴重かもしれません。
特定の時代を代表するアーティストとして記憶されたくない、と語った彼らが、50年を経た今の時点で振り返ると、「70年代を代表するアーティスト」として大々的に記憶されているのは、なんとも皮肉な、そしていろいろな意味で残念なことに思われます。
そしてまた、このとき、彼らをさらに大きな落とし穴(ディスコへの逆風)が待ち構えていたことを、誰も想像できなかったでしょう。これほどにまで不当な扱いを受けて、なおも立ち上がっては闘い続け、勝利し続けたアーティストって他にいるのでしょうか。
なお、ここで話題になっている作品”Where Do I Go”はアンディを含むギブ4兄弟によって書かれ、ロビンとブルー・ウィーヴァーがプロデュースしたジミー・ラフィンのアルバム『Sunrise』(1980)にマーシー・レヴィ―とジミーとのデュエットとして入っています(YouTubeのリンクはこちらです)。このアルバム全体でロビンはバック・ヴォーカルに参加していますが、この曲に関してはバリーもバックに参加しているといわれています。
(Thanks: yamachan)
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