Amazonプライムで観られるビー・ジーズの歌関連の映画2本
現在、アマゾン・プライムでビー・ジーズの音楽を使った映画2本が観られます!
1本が公開時にファンの間でも話題になった、その名もずばり『若葉のころ』。
もう1本は日本でリメイクもされた『1秒先の彼女』です。どちらも劇場公開時にどうしても時間の都合がつかなくて見損なってしまい、残念に思っていましたが、このタイミングで2本とも観ることができました。ネタバレを含む個人的な感想を以下に書きます。未見でこれから観ようという方は観てから読んでいただいた方が良いかも…。(うっかり目に入ってしまわないように、以下に10行ほど「ネタバレ改行」を入れます)
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『若葉のころ』
うーん、個人的にはこれはかなり苦手な作風でした。絵として印象に残るきれいな画面もあるので、「劇場の大画面で観た方が良い」という意見にもある意味、賛成できる面はあるのですが、描かれているのが”初々しい初恋”かというと、ミニの女性を見上げるような角度で撮影したり、どうして必要かわからない性的なコンテンツがあったり、かなりエグイ…というのが個人的な印象です。
80年代の日本映画に比較的よく見られた、良くいえば「感性的」というか、ストーリーがあるようなないようなぼんやり系の展開なのですが、無理やりな流れが多くて登場人物の感情に寄り添いにくい。また、「ビー・ジーズの名曲のメロディをモチーフに」と解説などにあるのは、ずばり、「ビー・ジーズの名曲」そのものは使われていないから。つまり劇中で流れる歌はカバー・バージョンなんです。しかも肝心な箇所の歌詞が変えてある。
作者(監督?)が『小さな恋のメロディ』を意識したことは感じられます。特にヒロインをスローモーションで撮った場面などは、メロディがダンスをしている場面を思い出させる美しさ。また、このヒロインがかわいい! それは間違いない。しかも撮影時、すでに20代後半だったというのに高校生役で何の違和感もない初々しいかわいらしさで、ジャック・ワイルドもびっくり(彼、1970年時にハイティーンだったのに小学生のトム・オーンショー役をみごとに演じましたからね)。
『小さな恋のメロディ』は「When I was small/And Christmas trees were tall/ We used to love while others used to play」という「若葉のころ」の一節から生まれた、とワリス・フセイン監督も語っています。
で、これは幼い恋の物語ですから、「君にキスした」のもほっぺたで、キスされた彼女は「行ってしまった(you were gone)」。だけど、映画ではこの部分の歌詞を「The day I kissed your cheek and you were mine (you were goneじゃなくて)」と変えています。つまり、「君の頬にキスして、君が僕のものだったあの日」。数あるカバー・バージョン中には、この部分をそう変えて歌っているアーティストもおり、そうなるともう少し年上の恋物語になるのですが、ビー・ジーズの原曲はあくまで幼い恋の思い出を歌ったものです。
ビー・ジーズの「若葉のころ」には、幼い恋と変化の予感、そして変化(成長とおそらくは別れ)の後にそれをふり返る痛みと、心から愛したことへの悔いのなさが歌われています。
この映画、劇場で見逃したあと、けっこう評判が良かったので、ソフトで買おうかなあと思ったらなんだかやたら高くて断念したのですが、いまこうして観ることができて、実は(ケチなそれがしは)「ああ、高いお金を払って買わなくて良かった」と思いました。エンディングのさざめく少女たち、空飛ぶレコード、恋する少年の目で見た少女のスローモーションなど、美しい場面はありました…が、メロディちゃんが階段を下りる場面を見上げる角度で写してあったりしたら、たぶん『小さな恋のメロディ』の印象も自分にとってはずいぶん違ってしまっただろうと思いますしね。
もう1本の『1秒先の彼女』
こちらも未見の方のためにネタバレ改行を入れます。
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これはラストが素晴らしい! エンディングに使われているのはロビンが歌うオリジナル・バージョンの「ジョーク」です。当方、まったくノーチェックだったこの映画、2021年に日本公開された当時、”25年遅れだったBGSファン”さんから当サイト宛ての連絡メールで次のように情報を教えていただきました。
話題の台湾映画、「1秒先の彼女」のエンディング挿入曲としてI STAETED JOKEが。曲がこの映画の世界観を象徴的に語っているかのようにピッタリ!はまり、胸が熱くなりました。
当時、家族の病気で心の余裕がなく、その後、メールソフトが破損してしまって、お礼もきちんと申し上げずに今日まで来てしまいましたが、貴重な情報を寄せていただき、本当にありがとうございました。作品の”世界観を象徴的に語っている”という「ジョーク」はどのように使われていたのか、ずっと気になっていましたが、”25年遅れだったBGSファン”さんがおっしゃる通り、本当に素晴らしい使われ方であったと思います。
「ジョーク」については、象徴的で抽象的な歌詞なので、さまざまな解釈があり、ロビン自身は「聴く人に委ねたい」と語って、限定的な解釈を発表することはありませんでしたが、この映画のエンディングでの使われ方には、本当にはっとさせられるものがありました。
これまで数えきれないほどの回数を聴いてきた者としても、「ああ、この歌ってそういう歌なんだ!」と思わせられたのです。
なんといってもこれは悲しい歌です。世界との疎外感、孤独が歌われているというのがいちばん一般的な解釈でしょう。けれど、多少ストーリーに乱暴なところがある(基本、ロマンチック・コメディである)この映画のエンディングで、不器用だけど誠実に生きてきた主人公のふたりが、ようやく巡り合えるハッピー・エンドの場面で、ふいにこの曲が流れ出すとき、「ああ、この歌は不器用だけど誠実に生きる全ての人に対する応援歌なんだ」と思えたのでした。
そう思うと、救いがないとさえ思われるこの歌詞のこの歌をあくまで丁寧に誠実に歌うロビンの声に、光が宿って感じられる理由がはっきりした気がしました。
監督は『熱帯魚』で「ただモノではない!」と感じさせたチェン・ユーシュン。台湾アカデミー賞受賞作だそうですが、ストーリー展開にちょっとわからない部分があったとはいえ、ヒロインは要領のいいぶりっ子タイプでもなければ、守ってあげたくなるようなドジっ子タイプでもない、どちらかといえば口さがないおばさんタイプ(?)、変人タイプだし、ヒーローも白馬の王子様タイプとはほど遠い。でも見ているとふたりとも応援したくなるようなリアルさがある人物造形で、消息が途絶えていたヒーローとヒロインが再会する場面で、ぱあっと心が明るくなるのですが、そこに「ジョーク」ですから! あやうく落涙しそうになりました。
「ジョーク」を使うのは監督のアイディアだったのでしょうか。すると監督はビー・ジーズのファン?!ここに来て「ジョーク」をこんな気持ちで聴くことができるなんて、チェン・ユーシュン監督はやっぱりただモノではない!
ちなみにこの作品は京都を舞台に男女の設定を逆にして、台湾版ではヒロインだった男性役を岡田将生が演じて『1秒先の彼』として日本版が作られています。残念ながらこちらにはビー・ジーズの曲は登場しません。(こちらもアマゾン・プライムで配信中なので、確認するために最後まで見てしまいました(笑))ビー・ジーズの曲の版権使用料はめちゃ高いそうなので、そのせいなのかもしれませんが、最後の最後でこの有名な曲の解釈を「あ、そう来たか!」と聞かせる台湾版の手腕はやっぱりすごい!と思います。
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