【1969年10月】英誌「バリー・ギブのお宅拝見」その1
ロビンがソロになり、ビー・ジーズが空中分解したかに思われた1969年後半。当時ロンドンに住んでいたバリーの自宅訪問記です。イギリスのティーン雑誌『Fabulous 208』(1969年10月17日号)より。表紙もバリー。カラー、白黒写真を含む約3ページの記事なので2回に分けて内容をざっとご紹介します。
古風な環境の中でバリーが語るのは、
●リンダさんとの新居について
●演技への興味
●撮影が終了したばかりの『キューカンバー・キャッスル』について
●業界・音楽論
●日のあたる場所への愛
ふと気づけば、ほぼ50年前の記事だ、これ~。これから5年後の1974年10月17日にはビー・ジーズは3度目にして最長の日本ツアーのために日本上陸を果たします。その翌年、1975年10月17日にはモーリスがイヴォンヌさんとめでたくゴールインしています。
バリーが住んでいるのは、キングスロードに近いチェルシーの瀟洒なジョージ王朝式のテラスハウス。近くにはまるで過去にタイムスリップしたような気分にしてくれる閑静な広場があります。白い柱のアーチをくぐってノックすると、古風な執事さんが出てきそう……と思いきや、ドアに応えてくれたのは、バリーの美しい奥さまリンダさん(2年ごしの彼女)、それにどどっと飛び出してきたフワモコの犬の群れでした。
宮殿みたいなリビングに待っていたのは、みごとな暖炉と深々として座り心地の良い肘掛け椅子ーーそして熱い紅茶!
薄い色のシャツと細身の織地のパンツを着たバリーはあいかわらずのイケメンぶり。ただ、インフルエンザがなおりかけということで、ちょっと弱々しい鼻声で椅子に身を埋めるようにしていました。
3匹の犬の群れは、大型のグレート・ピレニーズに、いろんな血統が混ざっているというリンダの老犬、それにアフガンのスヌーピー。コートを脱ぎっぱなしにしておくと、すぐにスヌーピーに袖をかじられてしまうのだとか。
バリーはちょうど電話を終えたところでした。このあとも、ビー・ジーズのツアーについてなど、大事なビジネスの電話がどんどんかかってきていました。
まずバリーが話してくれたのは、リンダのこと、それにふたりが田舎に探している新居のことでした。「どこか街からある程度離れていて、静かにゆったりできて、動物も飼えるところがいいんだけど、ぼくも仕事があるから、そんなに引っ込んでいない場所を探しています。今は賃貸で週に80ポンド以上払っているんですけど、これはばかげてると思う。本当にほしいのは、どこか川辺の静かな家で、落ち着いて曲作りできるような場所です」
リンダってすごくラッキー。ビー・ジーズが再始動するいま、バリーはイケメンで才能があるだけでなく、大金持ちですからね。
「まだ、今はその話をするにはちょっと時期尚早ですが、クリスマスごろにBBCで放映予定の『キューカンバー・キャッスル』にビー・ジーズがちょっと(ちょっとってモーリスとぼくだけど)が出ています。
撮影は楽しかったです。16世紀ごろを舞台にしたコメディで、すごくふざけたナンセンスな内容。フランキー・ハワードとエリナー・ブランとか(こわーい)ヴィンセント・プライスとかコメディ系のすごい人たちが笑わせてくれます。全体で1時間15分ぐらいで、5週間ぐらいかけて撮影しました。
撮影中は朝7時には衣装をつけてメイクもできてないといけなかったんです! なんと脚本はぼく。でも撮影しながらどんどん内容を変えていったので、最終的には半分はアドリブになりました。全員で頑張って作り上げていく過程は楽しかったし、貴重な経験になりました。ああいう仕事は好きだし、最終的にきちんとした結果が出せるなら、一日中やってもいいなあ」
この一年、バリーは演技への興味が増しています。「いろんな俳優に会って友だちになったので、ポップス系の人より演技系の友だちの方が多いんです。特にピーター・ウィンガードとは親しくしています。個人的にはもっと俳優の仕事をしたいと思っていて、いろいろと計画が進んでいるところです。今のところ市場はどこでもロケできる長篇テレビ映画が主流で、ハリウッドが中心だと思います。
ポップスターの中には演劇学校に行ったりする人もいますが、ぼくはその必要は感じません。演技も才能の問題で、学べるものじゃないと思うんです。もちろん、仕事をしながら身につけて行ける部分もあるとは思いますけど。演劇学校はもうかってるでしょうね。ビッグ・ビジネスですよ。
ぼくは舞台よりテレビが好きです。観客が目の前にいるのはすごく気分が良い。それはステージで歌ってきた経験からわかっています。でも映画になると、技術スタッフやクルーと友だちになって、スタッフが観客になってくれる」
もちろん、バリーはたくさん曲も書いています。
「こうしてやっていられるのも曲作りをしているからです。9歳のときから曲を書いていて、死ぬまで書き続けるだろうと思います。映画音楽もたくさんやりました。単独で曲を書く作業も楽しくて、ソロ・シングルとアルバムも出す予定です。ひとりで曲を書いていれば議論する必要もないですからね! チームの方が良い曲ができるというのは間違った考えですよ。ポール・マッカートニーのソロ作品を聴いてごらんなさい。ポールには他の人間は必要なかった。それはポール・サイモンも同じです。ぼくが他の人と曲を書くにしても、それはたまたまそうなのであって、ぼくには単独で曲が書けないと思われると心外だなあ。
今のポップ・ミュージックの世界は好きだけれど、スター不在は残念です。エジソン・ライトハウスだって実はホワイト・プレーンズだってわかるまでは大好きだったのに。ぼくが言わんとしていることがわかりますよね! なんだか2つか3つのグループでチャート全体を切りまわしてるみたいな気がすることがあるんですよね。スターのイメージがなくなったのは残念だと思います。大衆がオーラを感じるような歌手やグループがいなくなった。
ブラッド・スエット・アンド・ティアーズみたいなクレバーな音楽は好きなんですが、ぼく自身は素朴な人間なので、素朴な音楽が好きなんです。自分がどれだけクレバーか、頭がきれるか、を見せつけたがるグループもいれば、感情を表現するグループもいる。ぼくは、心に響く歌詞を書いて、ハミングできるようなメロディを書くべきだと思う。アンプで拡大した大音響の音を聴きながら恋はできない」
この数ヶ月、バリーは、テレビ出演のためにヨーロッパ各地に旅していました。
「東ドイツにも行きました。信じられないような眺めでした。兵士と娼婦がいっぱいで、通りには人けがなく、逃げようとして死んだ人たちの墓が壁ぎわに並んでいた。ぼくたちが平和に暮らせていることの大切さを改めて思いました」
それに太陽も見てきたそうです。「ぼく、太陽に夢中なんです。イングランドは大好きだけど、日の光が好きなので旅をするなら日にあたれる場所です。雨は悲しくなる。太陽にあたればいつだって幸せになりますよね」
23歳のバリーの人生は太陽がいっぱい。「自分でもこの数年でずいぶん変わったと思います。大人になったし、必ずきちんと話し合うようにしたので、音楽業界の事もよくわかるようになりました。ビジネス・サイドがわかっていないと、アーティスト稼業は難しい。今は満ち足りていて、自分がしていることにも自信を持っています。不安定な状態はつらいです」
不安定な時期は過ぎ去りました。バリーの過去が熱い成功の波に乗っていたとするなら、未来はさらに太陽がいっぱいのものになることでしょう。
大型のグレート・ピレニーズ犬とはいわずとしれた「若葉のころ」で有名なバーナービー君です。やはり、バリーは紅茶と太陽(とリンダさん)が好きだということがよくわかります。ここで話題に出ているソロ・シングルはもちろん「想い出のくちづけ(I’ll Kiss Your Memory)」で、ソロ・アルバムはいまだに未発表の『The Kid’s No Good』です。いわゆる「ファースト・フェーム・シンドローム」で兄弟が分裂していた辛い時代だということもあるのでしょう、この時代の作品はなかなかきちんと日の目を見ないのは、その質の高さからいっても残念なことです。
ピーター・ウィンガードは、当時放送されていたテレビシリーズ『秘密指令S』でジェイソン・キングというキャラクターを演じて、お洒落なセレブとして人気でした。バリーと仲良しだったというのはちょっと意外な気がしますが、当時のファッション・リーダーと言われていたウィンガードの髭とかが意外とバリーに影響したのかも、と今回改めてこの記事を読んで思いました。
しかし3兄弟は繰り返し映画への夢を語っていますが、演技面で一番大きなプロジェクトだった『キューカンバー・キャッスル』(1969年)と『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』(1978年)の2つがどちらもいろいろな意味で失敗したのは、かえすがえすも残念です。
「バリー・ギブのお宅拝見」(その2)も近くアップします。
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