【2020年12月NYタイムズ紙】”バリー・ギブには使命がある”(その2)

ビー・ジーズの曲をカントリーのアーティストたちと組んで歌った2020年発表のデュエット・アルバム『グリーンフィールズ:ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック Vol. 1』の発表を前に、バリーがニューヨーク・タイムズ紙と行ったロングインタビュー(その2)です。なかなか深い掘り下げがあって面白い!

80年代に入ってチャートから遠ざかっていた時期に、バリーと弟たちはコンウェイ・トゥイッティオリビア・ニュートン=ジョン、いちばん知られたところではケニー・ロジャースとドリー・パートンの世界的ヒット「アイランズ・イン・ザ・ストリーム」などのカントリー・ヒットを手がけた。「ケニーはいつも『おれ、あの曲、今でもよくわからないんだ。何の歌だかわからないんだよ』って言うんですよ。で、僕は、『ケニー、僕には何の歌かわかってるよ、ナンバーワン・レコードだよ』って言うんです」とバリー。

バリーによれば、弟たちが特に望んでいたかどうかは別にして、ビー・ジーズのサウンドには常にカントリーの要素があったという。もっともカントリーに特化したアルバムを作ることは、長年のあいだ「いつかやりたいことリスト」に載っているだけだったのだが、それも昨年、キャピトル・レコードと新しい契約を交わすまでは、の話だ。何らかの形で以前の歌を再解釈してはどうか、という案について話し合っているときに、バリーは気づいたのである、カントリーのアルバムを作るなら今だ、と。

「父にジェイソン・イズベルやクリス・ステープルトン、ブランディ・カーライル、スタージル・シンプソンとかを聴かせていたら、父が『いやあ、素晴らしいレコードだ。すごいなあ』と言ったんです。そのあたりの作品に共通していたのはデイヴ・コブがからんでいるということでした」

コブは46歳。カーライル、ステープルトン、イズベルとの仕事でグラミー賞を受賞していたが、実はビー・ジーズの大ファンでもあった。こうして2019年10月に、バリーはナッシュビルのRCAスタジオAで、カントリー界のデュエット・パートナーたちと一緒にビー・ジーズの名だたる名曲や知られざるマイナーな曲の新しいバージョンをレコーディングしていたのである。デュエットの、相手はキース・アーバンのような当代のヒットメーカーや、アリソン・クラウスギリアン・ウェルチデイヴィッド・ローリングスのような伝統派、またはドリー・パートンのようなレジェンド格のアーティストたちだった。

ドリー・パートンとバリーは初日にビー・ジーズの1968年のシングルだったせつせつたる「Words」をレコーディングした。コブはこの体験を「人生で最も緊張したセッションだったと思う」とふりかえっている。ギターを弾くためにマイクに歩み寄ったら、「足が小刻みに震え始めていた」そうだ。

ジェイソン・イズベルもバリーと歌うことになって緊張していた。共演曲は「Words of a Fool」。バリーが忘れ去られた映画『ホークス』(1988年)のサウンドトラックのために書いた、あまり知られていない曲だ。

「バリーの声にハーモニーをつけて歌おうとしていたらデイヴが何か注文してきたんだよ。それで俺、『おい、デイヴ、俺たちがふたりともバリー・ギブってわけじゃないんだよ、ちょっと待って、俺には少し練習させてくれよ』って言った」

「Words of a Fool」でのバリーの歌声は力強いと同時にはかなく、その震えるようなビブラートはジャズシンガーのジミー・スコットを思わせる。レコード盤に初めて歌声を吹き込んでからほぼ60年が経とうという今も、バリーの声はポピュラー音楽におけるもっともこの世のものならぬ響きを持つ楽器のひとつなのだ。

「『なんで今でもあんな声を出せるんですか?』ってバリーに聞いちゃったよ」とイズベルは語った。「これまでそんな質問はしたことがない。相手がトシだっていってるみたいで失礼に聞こえちゃいけないじゃないか。でも『バリー、どうして今もこんなにみごとにパワフルに歌えるんですか?』って聞いちゃったら、バリーの答えはね、『コカインが好きだったことはない。効果を持続させるために15分おきに摂取しなきゃいけないなんて、いいとは思えなかった』って。納得の答えだった」

バリーがカントリー音楽にたどり着いたのは当然のことといえる。「ラヴ・サムバディ」を聴いてみてほしい。タイトでハスキーな歌い出しから、やがて、心の中のダムがついに決壊したとでもいうかのように、見事な高音がどっと流れ出す。カントリーを歌うための声だ。悲しい歌を歌うための声だ。

バリーはそうした曲をたくさん書いてきた。1964年だけをとっても、バリーのソングライターとしての著作権リストには「Scared of Losing You」「閉所恐怖症」「I Just Don’t Like to be Alone」「House Without Windows」「Now Comes the Pain」「Since I Lost You」「This Is the End」などの曲が入っている。

どうしてこんな暗いテーマに傾倒したのか、バリー自身にも説明がつかない。16歳の少年とさらに幼い弟たちが、なぜ「I Was A Lover, A Leader of Men」なんていう歌を歌っていたのか、説明できないのと同じだ。

オーストラリアではギブ兄弟はまだ未成年だったのに、「まるっきり『クロコダイル・ダンディー』 そのものみたいな」バーで演奏していたそうだ。オーストラリアの観客は素晴らしかったが、「酒を飲む客層でした。歌っている最中に喧嘩が始まるなんてことも珍しくもなかった。男性がふたり、座ったままで殴り合ってるのも見ました」

「Spicks and Specks」が成功を収めた(「ロビンはこの曲が僕たちの最初のナンバー・ワンだと言っていたけれど、実はあの曲が1位になったのはパースだけなんです」)とたんに、彼らは船でイギリスにもどり、当時、ビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインのビジネス・パートナーだったロバート・スティグウッドと契約を結び、華やかな60年代のロンドンのただなかに飛び込んだ。

「突然、フラワーパワーの世界に放り込まれたわけですから、どんなキャラクターに扮するかを決めるだけでせいいっぱいでした」エレベーターでエリック・クラプトンと遭遇した記憶はいまだに鮮烈だそうだ。「彼はカウボーイ姿で、僕は神父の格好をしてましたね」

当時バリーは20歳、下のふたりは18歳にも満たなかった。「僕らはまだ子供でした。しかもすごく世間知らずだった。その後、かなりのあいだ世間知らずだったと思います」

しかしすぐに彼らは酒や大麻、薬物に手を染めるようになったという。しかしアルバム『ビー・ジーズ・ファースト』(1967年)をはじめとする初期の英国時代のアルバム——クラウス・フォアマンのサイケデリックなジャケット、風変わりなオーケストレーション、「Every Christian Lion Hearted Man Will Show You」などといったタイトル——からイメージされるほど、実際の彼らが60年代当時のライフスタイルにどっぷりとはまっていたわけではない。バリーとロビンは一度、メスカリン(幻覚剤)の錠剤を渡されたこともあるが、トイレに流してしまった。

60年代末のビー・ジーズのアルバム群は、当時の空気を濃厚にまといながらも、ギブ兄弟独特の甘ったるく震えるような悲哀感に貫かれている。まるで、高い塔の窓から憧れの眼差しで見つめ続けることによってポップスの世界に精通した病弱な若き皇子たちの作品のようだ。これほど不可解にも奇妙な音楽はドラッグの影響だけで生まれたはずがない。

「どうやって人間がひとつの部屋に集まってあんなレコードを作れたのか、まったく想像がつかない」とコブは語る。彼はザ・ビートルズゾンビーズの『オデッセイ・アンド・オラクル』に夢中になったことから、60年代のビー・ジーズの作品に辿り着いた。「ただ存在している、そんなアルバム群です。まるで別の宇宙からやってきたみたいに感じられるんです」

こんな発言を読むと、デイブ・コブが『グリーンフィールズ:ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック』のプロデューサーで本当に良かったなあ、としみじみ思いますね。

また、興味深いのは、バリーの歌声について書かれていることがそのままロビンの歌声について書かれているようにも読めることです。「力強いと同時にはかなく、この世のものとも思えない」「悲しい歌を歌うための声」というのが、まさにビー・ジーズの声だったのだと思います。

『ファースト』から『オデッサ』にいたるアルバム群についての記述も、60年代、70年代に時代の寵児だったときにも、どこか時代にそぐわずはみ出していたビー・ジーズの奇妙で独特な魅力をよく表していると思います。

「世間知らず」と訳した単語はnaiveteです。よく言えば「純真」なのですが、一般には「甘い(だまされやすい)」という意味に使われることが多く、これもまた彼らのキャリアを語る上でのキーワードの一つと言えるのではないでしょうか。

次回「その3」に続きます。

{Bee Gees Days}

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