【2020年】制作チーム『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』を語る(その1)

映画『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』冒頭場面より
ドキュメンタリー『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』は2020年のニューポート・ビーチ映画祭でクロージング作品として上映されました。同映画祭のオフィシャルYouTubeチャンネルで、フランク・マーシャル監督(以下FM)とプロデューサーのナイジェル・シンクレア(以下NS)のインタビュー動画「ヴァーチャルQ&A」を観ることができます。インタビュワーはチャップマン大学メディア&アート学部のスティーヴン・ギャロウェイ学部長(以下SG)。
以下に内容をざっとまとめてご紹介します。ちょっと長いので2回に分けてご紹介しようかと思いますので、こちらは「その1」です。
SG: フランク・マーシャル監督、それにナイジェル、インタビューに応じてくれてありがとう。何よりもこんなに素晴らしいドキュメンタリーを制作してくれて本当にありがとうございます。観ている間、ずっと、これは大変な仕事だったろうなあと思っていました。
まず、ふたつ質問があります。その1、なぜこの作品を作ろうと思ったのですか? その2、ビー・ジーズについてのドキュメンタリーを制作するにあたって、一番大変だったことは何? フランク、まず君から答えてください。
FM:スティーヴン、今日はありがとう。僕はニューポート・ビーチのリド島で、音楽一家に育ち、人生のほとんどを音楽に囲まれて過ごしてきました。しかも、これまでずっとビー・ジーズの音楽を愛してきました。だからキャピトル・レコードのスティーヴ・バーネットと初めて会った時に、キャピトルがカタログの再プッシュを考えているグループやアーティストの名前が話題にあがって、ちょうどビー・ジーズのカタログも取得したばかりなのだだと聞き及んで、「あ、これは良いアイデアだ」と思ったんです。
僕は、音楽一家でギタリストや作曲家に囲まれて育ったものですから、ギブ・ファミリーが家族として経験したであろうことに共感できたし、 音楽をめぐる家族の物語としてこのプロジェクトにアプローチしました。その過程で、彼らが持っていた素晴らしい創造性、音楽への愛、ユーモア、家族が集い、共に歩む姿、その中で兄弟がお互いに忠実であったことなどが見えてきました。ギブ兄弟は、成長の過程でつらいことや困難に出会っても、常に家族として団結していたんですね。そんな点に興味を惹かれました。
SG: 制作中にいちばん大変だったのは?
FM: それはナイジェルに答えてもらおうかな。たくさんあったよね。
NS: スティーヴン、どうも。僕自身は音楽一家で育ったわけではありませんが、フランクと同じでビー・ジーズのことなら知っていました。存命中のアーティストとその家族を描く映画を作る場合にいちばん難しいのは、ぴったり来る語り方を見つけることです。なおかつ、芸術的な独立性を保ちつつ(僕たちにはそれが許され、監督としてのフランクにもそれが認められていました)、物語自体を尊重することです。ロビンとモーリスは既に他界していたということもあって、余計に難しかったです。映画の中で彼らにどうやって声を与えるか、その方法を見つけなければならなかった。バリーはものすごく礼儀正しくて気遣いのある人でしたが、そんな彼が初対面の時に強く主張してきたのも、「とにかくこの映画は兄弟三人についての映画にしてほしい」「物語の中でも悲しい部分ではあるけれどアンディも忘れないでほしい」ということでした。
そこで、ご存知の通り、1999年に撮影されたすごく良いインタビュー映像を使うことで、作中、彼らに発言してもらえるようにしました。しかし、これはちょっと危うい方法でもありました。結局、解決策として、冒頭で真っ向から「バリーが最後に生き残ったひとりである」と出してしまった。バリーはインタビューの中で「これは僕はこう覚えている、という話で、弟たちは弟たちで違う形で覚えているかもしれない」と発言しています。この一言があったから、『これはバリーがそう言っているだけだ』と言われるのを防げたのです。
SG: バリーと会ったときのことを教えてください。バリーの希望はどんなものだったのですか。大物の有名人と組んで仕事をしてきた経験からいうと、ああいう人たちはみんな守るべきイメージというものを持っていますよね。このドキュメンタリー映画にはビー・ジーズの音楽があふれていますから、バリーから使用許可を得る必要はなかったんじゃないかと思うのですが、最初から使用許可をもらっていたのですか。それともバリーに許可してもらう必要があったのでしょうか?
FM: いや、実はちょうどキャピトルがビー・ジーズのカタログを取得した直後で、バリーがハリウッドに来ていたんです。グラミー賞でビー・ジーズのスペシャル・トリビュートを行うために、バリーがハリウッド入りしていた時に初めて会ったんですね。信じられないほど感じがよくて、謙虚な人でしたが、話しているうちに、あ、これは『サタデー・ナイト・フィーバー』どころじゃない、もっとずっと大きなストーリーなんだ、ということに気がつきました。そこで、本当にビー・ジーズのレガシーを称えるための映画を作ろうと、僕たちは一丸となって進み始めたのです。3年にわたる作業は素晴らしい経験でした。権利許諾の具体的な手続きについてはナイジェルが話してくれるでしょうが、とにかく当初から権利関係は僕たちに与えられていました。
NS:こうした大規模なプロジェクトは「アーティストが望んでいなければ実現しない」という前提で始まりますが、権利関係はすべてユニバーサル ミュージックグループ(UMG)とキャピトルのものだったので、その点については確保できていました。フランクは何度もバリーとインタビューを重ねましたが、大切だったのはバリーが自分の歴史を振り返っていく形式を考え出すことでした。歴史を、当時の出来事を、現代的な手法で描きながら、バリーが過去を回顧するという形をとりたかった。物語の流れの中でバランスをとることも大切でしたが、最終的にはこれができたと思います。観客に自然な流れだと感じてもらえるようにするというのは、大きな挑戦でした。
SG:バリーと最初に会ったときのことを教えてください。どこでどんな話をしたんですか?
FM:第一回の顔合わせはキャピトル・タワーで行われました。偶然にも、50年か60年前に父がいた場所だったので、僕にとっては非常にノスタルジックで素晴らしい体験になりました。子供のころ、僕は、大勢の偉大なミュージシャンが演奏する姿を見ながらスタジオAで育ちましたから、どうしても父のことを思い出してしまいましたね。その場所でバリーと初めて会ったのですから、まさにこれで良かったんだという思いがしました。
SG: ふたりきりでしたか? それとも他の人も同席していましたか? 会話の内容は?
FM: キャピトル・レコードを率いるスティーヴ・バーネットも同席していました。彼のオフィスでしたから。バリーが入ってきて、バリーの長年の友人でありマネージャーであるディック・アッシュビーも一緒だったと思います。みんなで家族の話をしました。本当に特別な、気どらない温かい時間で、お互いの信頼を感じました。バリーは最初から最後までこのプロジェクトに関わってくれました。正直なところ、一番大変だったのは、バリーも言っているように、僕たちみんながそれぞれの思い出を持っているということです。そこから過去への旅が始まりました。知らなかったことばかりで、次から次へと意外な方向に事態が動いていくのですが、実は僕にとってはそれがドキュメンタリーの醍醐味なんです。
SG: バリーは承認権とかは要求してこなかったのですか?
NS: その質問には僕が答えるよ、フランク。フランクのさっきの答えに補足したいんだけど、この質問に関して言えば——アーティストは、承認権がある場合もあれば、ない場合もあるんです。アーティストには作品をサポートしてもらいたいわけですが、相手が本物のアーティストだというなら、フランクだって本物のアーティストだし、プロデューサーとしては僕もそうです。バリーは賢い人でしたから、とにかく僕たちが最良の仕事をすることだけを望んでくれました。バリーは、フランクが制作した作品や僕が携わった作品をいくつか見てくれてましたから、その点では問題はありませんでした。
僕やフランクが手がけてきた大作ドキュメンタリーでは、どれも必ずどこかで人間関係の問題が出てくるものなんです。フランクはシナトラ一家についてのエピソードを話してくれたことがあるし、僕もパヴァロッティ家について似たようなことを経験しています。でも実は、彼らは映画にケチをつけているのではなく、何をしているかというと、自分が生きてきた人生と折り合いをつけようとしているんです。彼らは映画の内容に腹を立てたりするけれど、それはこちらの作品や作劇法について文句があるというのとは違うんです。僕たちには確固たるルールがあります。その芸術家について、百年経った後にも意味を持っているような事柄に焦点を当てるということです。僕たちがもうこの世にいなくなった後にも重要視されるような事柄にね。
フランクがバリーに会いに連れて行ってくれました。マイアミの家には重役たちが顔をそろえていて、思い出の品々がぐるっと並んでいて…フランクはそれまでにすでに何度かバリーに会っていたし、僕も過ぎ去った60年代に、バリー・ギブを知りながら育った人間です。その彼と話していると、「あの曲も、あの曲もみんな…」という気持ちになります。するとバリーが「あなたたちはこの映画で何をしたいんですか?」と聞いてきたので、フランクが答えました。「創造性についての物語にしたいんです」って。素晴らしい答えですよ。これはポップバンドについての物語じゃなくて、創造性についての物語なんです。
すると、バリーは今度は僕を指さして「どうやってやるつもりですか?」と聞いてきました。すると僕は「僕たちはあなたたちをもう一度聴き手に紹介しなおしたいんです」と口走ってしまって、バリーは「どういう意味ですか?」と。
そこでフランクが言ったんです。「あなたたちは創造性のバンドです。曲はすべて自作で、プロデュースもしてきたし、時代と共に変化してきました。あなたたちの音楽はよく知られているけど、あなたたちが歩んできた道を知っている人はほとんどいません」って。そうしたらバリーは、「あなたたちふたりがそれをやってくれるなら、何を差し出してもいい」って言ったんです。僕たちは、言った通りのことを実現できたのだと思いたいです。
ものすごく緊張したけど楽しい体験でした。変な言い方だけれど、バリーは、人の心がわかるんだと思います。意図的に僕たちをちょっと挑発していたんだと思いますよ。プロデューサー役の僕にはあたりをきつくするぞ、だけど監督のフランクには敬意を払うつもりだ、とね、バリーはわかってやっていたんです。こんな話をしたのは、フランクと僕、それに共同プロデューサーのマーク・モンローとジーン・フェスタも、みんなが、これこそ「作業開始!」の合図だと感じたからです。マークは素晴らしい書き手でもありました。そして、フランクが仕事を始めるにあたって言ったように、この映画で僕たちが願っているのは、ポップ・バンドになり、やがてはロック・バンドになった、驚くほどの創造性に恵まれた共同体としての三兄弟を紹介できればということです。何よりも、この映画は彼らの創造性についての映画です。彼らは何でもできたのですから。フランク、バーブラのことや他の作品について話したいんじゃないか?
ビー・ジーズの音楽を愛し、彼らの創造性を理解したこのチームだったからこそ、あの素晴らしい映画が出来上がったというのは納得です。また、バリーが最初の打ち合わせで、「3人についての映画にしたい、アンディも必ず入れてほしい」と強く望んだというのにも心を打たれますね。
(その2)に続きます。
{Bee Gees Days}
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