【1972年春】「過ぎ去りし愛の夢」紹介

 

これは1972年春ごろ、やはり芸能誌に掲載された「過ぎ去りし愛の夢」の楽譜より。たぶん月刊誌の付録の楽譜集からでしょう。「過ぎ去りし愛の夢(Don’t Wanna Live Inside Myselfのどこをどう理解してこのタイトルになったのか、いまだによくわからん…)」は72年2月発売。3月の初来日を控えてのことでしたから、この記事はその前後のものと思われます。(ちゃんと典拠を書いておけばよかった…と後悔先に立たずですが)

で、だいたい「2度目の来日」が「3度目の来日」になっていたり、モーリス夫人のルルがバリー夫人になっていたり、音楽誌(<これもけっこうひどかったですけどね)ではない芸能誌、映画誌にビー・ジーズが取り上げられると記載内容に間違いが目につきました。その中でもこれは「ちょっとひどいんじゃなかろうか」と思った例です。

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《僕も結婚したいよ~! バリー・ギブ》

・モーリス夫人は明るい社交家。ロビン夫人は、しっとり落ち着いて家庭的。モーリスとロビンは、それぞれの夫人を自慢しながらも、内心ちょっぴり相手をうらやましくも思っている。

だけど、割が合わないのはバリー。ひとりだけ独身で、いつも見せつけられるだけだから。しかたなく、バリーは曲作りに専念。デレデレしたモーリスとロビンを横目で見ながら、ビー・ジーズ・サウンド作りを一手に引き受けている。

まったくどこからつっこんで良いのやら…。だいたいこの段階でバリーはとっくに結婚していました。(1970年9月1日にリンダ夫人と結婚)まあ、音楽性には関係ない話題ではありますが。

だけどこの写真だとなんとなくバリーがデレデレした顔に写っている(私見?)みたいな気がしますね。するとこれを書いた人は向かって左からバリー、ロビン、モーリスと思ったのかもしれません。確かにこのシングルはバリーが単独で書いていますが、バリーが「単独でビー・ジーズのサウンド作りを一手に引き受けている」っていうのも、「嘘を書くな、嘘を!」と言いたくなるのである。

この記事を読んだのかどうか、翌1973年夏にビー・ジーズが来日したときの日本語パンフレットには誌上座談会として、「バリー・ギブは結婚しなくて、同棲してるんでしょう。いまだに結婚式あげてない」というようなことが書いてあってびっくりしました。そのほか、けっこう失礼なコメントがたくさんあって、本人たちが日本語が読めないから来日公演のパンフレットにこんなことを書いたんだろうなあと思うのですが、なんか釈然とせん…。

いく先に誹謗がつきものビー・ジーズ(心の俳句)

ちなみにこのパンフレットが出た73年夏の来日時、バリーと一緒に来たリンダ夫人は身重で、記者会見では「子どもの名前はもう決めたか」などという質問も出てなごやかな雰囲気でした。そして73年12月に生まれたのが現在ミュージシャンとして活躍中のスティーヴン・ギブです。ついでに書くと、そのときに「親になった体験」を歌ったのがアルバム『Mr. Natural』中の「Throw A Penny」でしょうね。

{Bee Gees Days}

 

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