【1973年9月】コンサート・レビュー―ビー・ジーズ東京公演
引き続き、1973年9月のビー・ジーズの日本公演について
どうしても雑誌の記事は東京公演初日のものに偏りがちですが、これもそのひとつ。FM雑誌だったと思うのですが、白黒2ページ見開きです。
(前にも書いた通り、当時は切り抜きの裏に「どこから切り抜いたか」メモする習慣がなかったために、今になって困っています。別のところにメモしてある(はずな)ので、それが見つかればいいのですが…うーん…。おそらく習慣じゃなくて週間FMだと思うこの雑誌、ご存じの方がいらっしゃったらご一報いただけると幸いです)
記事の内容は―
10代の女性ファンを中心にふくれあがった会場に、再びあのさわやかなザ・ビー・ジーズ・サウンドが繰り広げられた。
昨年3月の日本公演とは異なり、踊りはねるようなステージ・アクションにジーンズ・スタイルの服装と、リラックス・ムードがいっぱい。そしてバリー、モーリス、ロビンのギブ三兄弟の言葉のやりとりに、会場からやんやのかっさいが巻き起こるという和気あいあいとしたふん囲気。
「今年2月に行ったロンドン交響楽団とのコンサート」が、彼らにとってよほどの影響力を持ったようで記者会見ではそのことに話題が集中した。そして、この日の舞台でもその経験を十分に生かして、オーケストラとうまく調和したコーラスを聞かせ、また「ヒットした曲を選びたい」と語った言葉通り、「マサチューセッツ」、「若葉のころ」などを美しいハーモニーに乗せて歌い上げた。(9月1日 東京・厚生年金会館 撮影・久保田勝久)
少し付け加えると、「記者会見でそのことに話題が集中した」のは、ビー・ジーズがそのことばかり話したがった、というよりは、質問する日本のマスコミ側がその話題に集中した、といえそうです。今にして思うに、事前にポリドールが取材側に配布した資料に、そのことが大きく書いてあったんじゃないか、という気がします。(この1973年2月のロンドン公演を見たというイギリスのファンを知っていますが、「思い出に残る素晴らしいコンサートで、思いきって行って本当に良かった」そうです)
ビー・ジーズは国際デビュー初期からオーケストラをアレンジに取り入れ、初来日1972年のステージもオーケストラ付きでしたから、「2月のロンドン公演の一度の経験が生きてオーケストラと調和した」という書き方には、ちょっと違和感がありますね。
記者会見の内容については近く(いつ?)詳細をアップいたしますが、彼らが「ヒットした曲を選びたい」と言ったかどうか…。通訳つきの記者会見(要するに、まあ、また聞き)をざっとまとめると、こういうちょっとずれた印象ができあがるんだな、というのが当方の感想です。
44年前のビー・ジーズは9月15日のマチネーの後、羽田空港から次の公演地である香港へと飛び去って行きましたが、今回の「1973年9月―Bee Gees in Japan」特集(というほどでもないですが)は、他の記事をはさんだりしながら、もう少し続きます。(何しろ早くまとめないと、どんどん記憶が減退しているので…)
ちなみに、この年の来日に関して日本のマスコミに登場した記事については、すでにざっとまとめたかと思いますが、レビューは初日の東京公演(9月1日)のものがほとんど(というか、見たかぎりでは全部?)でしたが、この「FM」のものが一番ずれていたといえばずれていて(でも写真は良かった)、ステレオ誌(だと思う…と断言できない悲しいそれがし…)に掲載された短評が一番適確に感じました。というわけで、次はそれを行くかな。
{Bee Gees Days}
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