【オハイオ・マガジン2017年7月号】サマンサ・ギブに3つの質問

オハイオ・マガジン(Ohio Magazine)誌サイトより

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Gibb Collectiveのアルバムを発表したばかりのサマンサ・ギブがオハイオ・マガジン(Ohio Magazine)誌の取材に応えました2017年7月号)。バリーと共演したときには「まるでそこに父がいるように感じた」そうです。以下に内容を簡単にまとめてご紹介します。

世の中の人たちにとってはロックの殿堂入りを果たした大スターで、輝かしいキャリアを誇るビー・ジーズのメンバーだったモーリス・ギブ。でもサマンサにとっては、彼は「わたしのおっちょこちょいのお父さん」だった。

サマンサがビー・ジーズのコンサートを初めて見たのは11歳のとき、1989年のアルバム『One』のツアーの最中だった。「もう、ただただ、『うっわー、うわー』状態で、ほんとにすごいグループなんだなあと実感しました。まるっきり伝説のミュージシャンそのものだったんです」

これまでカリフォルニアとフロリダで暮らしてきたサマンサ夫妻は3年前に息子さんを連れてオハイオ州中部に引っ越してきた。生活のペースがずっとゆったりした土地柄である。

「通りの向こうにはトウモロコシ畑が広がっています。近くに住んでいる人を訪ねるのにも車で一時間もかかる、なんてことがなくて嬉しいです」

サマンサはギブ家のいとこたちと組んで、Gibb Collectiveというユニットを作り、トリビュート・アルバム『Please Don’t Turn Out the Lights』を発表したばかりだ。ギブ四兄弟の子どもたちや妹のベリが吹き込んだビー・ジーズの曲で構成されている。このアルバムについて、また、家族や伯父(バリー・ギブ)とのツアーについて、サマンサに話してもらった。

 

今回のアルバムはビー・ジーズの50周年にあたる時期に出るわけですが、これは計画のうち?
皮肉なことに、わたしたち誰も50周年のことなんか知らなかったんです。みんなで一緒にトリビュートをやりたいね、っていう話はずっと前からあっただけなの。曲そのものの良さは太鼓判ものだし、全員がまたそれぞれの個性を出しています。わたしは「ニューヨーク炭鉱の悲劇」を歌いました。あの曲の一種虚ろな感じがたまらなく好きなんです。

お父様、それにおじにあたるロビンとアンディとの死別をどのように乗り越えてきたのでしょうか。
死別は常に大きな苦しみです。死別をきっかけに成長することもあるだろうけれど、ずたずたになってしまうことだってありえます。三人とも素晴らしい人たちでした。だからそのことをいつも胸に抱いています。(音楽)業界には確かにきつい面がありますが、父はわたしにとっては本当に“お父さん”でした。…家に仕事を持ち込むことはなく、いつも父でいてくれました。

4年前に伯父であるバリーと一緒にツアーをしたのは、あなたにとってどんな体験でしたか?
自分がそこにいるなんて、まるで夢みたいでした。父とつながっていると感じました。すぐそこに父がいると感じたんです。歌を、演奏を、父の目を通してみることができました。感じたのは悲しみではなく、エネルギーでした。あのツアーはわたしを助けてくれました。伯父にとっても、わたしにとっても、悲しみを癒す道程だったと思います。

{Bee Gees Days}

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